昨日あることをしていて思うことがあった。
たわいもないことが原因であったとは言え、私としては非常に重要なことに思えた。
よってここに記すことにした。

人は第一印象、もしくは他者からの情報を元に作り出した固定観念でそのモノを見る。
その結果、自らの成長を諦める傾向にあると私は思う。

例をあげよう。
テスト勉強の際、覚えるべき語句が多い世界史等の復習を、印象が悪いだけで拒み、少しでもやっておけば伸びていたはずの成績を抑えてしまう。
このような例をあげたからといって別にテストをしていてこう思ったわけではない。
しかし、このような例が我々の日常において身近に存在していることは理解してもらいたい。

ではなぜ人は不確かな情報をそれほどまで信じるのか。
これは動物の性質に由来すると考えられる。

古来動物はその成長に伴い、危険を対処することを覚えた。
つまり一度危険だと感じたこと、または体験した危険なことを記憶し、同じような危険を起こさないようになったのである。
この進化によって動物はその生命を保ってきた。

この能力はもちろん人にも備わっている。
ところが人はその能力を適切に使うことができていない。
いや、むしろ成長を抑えるほどの過剰な働きを見せている。

なぜこのような事態になったか。
考えられるのは人を取り巻く情報量の増加だ。

人が日常の生活で得る情報は、明らかに動物が危険から身を守るために必要な情報に比べ大変多い。
これにより、危険の伴わないような事柄についても自己規制が働くようになった。
そう考えるのが妥当だろう。

そんなこんなで人は挑戦することに消極的になった。
私はこの現状に少し不満を持っている。

人は他の動物にない優れた知能を持った。
ならばそれを駆使し、物事の安全・危険くらいは見分けることができるはずである。

しかし人はそうしない。
調べる以前に、自分の身近にある使い勝手のいい情報を整理、一つの理論を組み立てる。
そして自分に納得させることにより、挑戦からの逃げ道を作り出す。
そんなサイクルを繰り返して今生きている。
これでいいのだろうか。

私は思う。
自分のことは棚に上げて言わせてもらう。
人はもっと挑戦すべきだ。

物事を自分で見極める力をつけなければならない。
物事に積極的に近づかなければならない。

固定観念に縛られず、自分の理想と照らし合わせることで、広く多くのことに挑もう。
せっかく人に生まれてきたのなら。