3時間ほど前、母が軽食(プリン)を持ってやってきた。
オレがあまりにも腹減ったばかり言うから、柔らかいものなら食べさせてもいいか看護婦に相談しに行った。
テレビを見ていたオレは最初はあまり気にとめていなかったが、番組も終わりにさしかかったところで気がついた。

帰りがあまりにも遅い。
その程度の話し合いならすぐ終わるはずだ。
そう考えていると母はオレの全体的なお世話を担当をしている看護婦を連れてやってきた。

そうゆうことかとオレは思った。
オレのことで長く話をしていたようだ。

看護婦から、あまり無理はするな、少しずつ予定を削れと言われた。
母は看護婦にオレの今までの生活がどんなだったか告げたのだろう。

確かにオレは忙しい日々を過ごしてきた。

県でトップの高校に入った。
周りは勉強のできるヤツばかりだった。
それでもオレは自らを信じ、努力してきた。
だいたいの宿題は真面目にしていた。
テストだって平均を割ったのは一教科だけだった。
塾でも努力の質・量ともに誰にも負けたくなかった。
オレは必死だった。
それは認める。

部活もそうだ。
中学と高校では求められる物が格段に違っていた。
仲間の足だけは引っ張らないように、努力を重ねた。
自分が一番力不足なのはわかっていた。
だから誰よりも真面目に、休むことなく練習した。
仲間のやる気も、自分の頑張りさえ見せればなんとかなる。
そう信じてやってきた。
追いつけない背中になんとか近づこうとするオレは必死だった。
これも認めよう。

でもこれは中学のときも変わらない。
オレは中学のときも今と同じように闘っていた。
学校でずっと一番でいたかったから、誰よりも勉強しようとした。
チームの勝利のため、死ぬ気で練習した。
中学と高校ではその努力の量は違うかもしれない。
だが人は成長する。
それに伴って努力の量が増えるのは当たり前だ。
その負担に差はない。
だからオレは別に高校生としてストレスをためてきたんじゃないんだ。

では中学生のオレと高校生のオレとで違うところは何か。

笑いたかったら笑うがいい。
オレは愛というものを信じることに必死になっていた。

諦めようとする自分がいた。
でもそれを必死に拒む自分がいた。
周りの声はオレを考え込ませる。

一度離れた方がいい。
でも離れたらそれで終わりではないのか。
いつまでも信じればいい。
でもそれでは自分が惨めになるだけではないのか。

日々の葛藤はオレに今までにないダメージを与えていたのだろう。

結局オレは自分を、相手を信じ、自らを犠牲にしてでも愛を心の底から信じた。
それがよかったか、悪かったかはわからない。
でも決断することができた。
それはオレにとって大きな成長となった。

しかし人は何かを得るためには、時には何かを犠牲にしなければならないことをオレはわかっているようで実質わかっていなかった。

オレは相手の夢は自分の夢、そう信じ、その実現のため、自らの感情を殺すことにした。

が、その決断は予想以上に辛く、苦しいものであった。
オレは知らず知らずのうちに自分を信じているフリをして、自分を騙し続けていたのかもしれない。
恨み、憎しみと愛、悲しみに苛まれ、オレは自ら、その心を、痛みを忘れ傷つけていたのだ。
そしてその限界を超えた時、心の涙は血となり己を蝕んだ。

オレは今愚か者と言われて当然だ。
1人の女のために心はおろか、身までも滅ぼそうとする弱き者だと蔑まれても何も言えない。
執着心ばかり大きく、自分を強く見せることしか脳がないと笑われるのも致し方ない。

だかオレはあの決断を間違いだとは思わない。
オレは強くなる。
だからあの約束を守り抜く。
笑い声がいつしか消え、静寂が訪れ、残るはその意志だけとなる。
そう信じよう。

人を信じ、愛を信じていれば、きっとオレは強くなれると、オレは信じているから。