倉山満「帝国憲法の真実」第二部第二章

まとめと感想。
 

帝国陸海軍と自衛隊

▼旧帝国陸海軍の組織図(引用元http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/gunji/sosiki.htm
陸軍と海軍に分かれ、さらに陸軍省は参謀本部。海軍省は軍令部に分かれている。
陸軍省・海軍省が軍政。
参謀本部・軍令部が軍令を担当している。
 
現代は、国防省(防衛省)が野球で言うところのゼネラルマネージャー(GM)を務めている。
統合参謀本部が野球で言うところの監督を務めている。
他国の組織は、国防省が統合参謀本部に対して優位的存在ですが、別組織であり対等関係です。
 
▼自衛隊の組織図(引用元https://www.mod.go.jp/j/profile/mod_sdf/
 
現在の我が国では、防衛省の下に統合参謀本部が従属しています。
防衛大臣と副大臣、政務官は、政治家で一年ごと程度で交代してしまいます。
そのため、防衛省官僚への権力集中のしやすい構造となっています。
 
さらに、軍政系統を防衛官僚(背広組)。
軍令系統を自衛隊(制服組)。
警察予備隊から始まった自衛隊には内務(警察)官僚が多く入っていました。
大蔵省が防衛庁を植民地化し、
国家公務員試験を上位で入れなかった人たちを入れる官庁とされました。
財務省主計局は、予算が大きく力の弱い防衛庁を狙い撃ちにしていきました。
 

シビリアンコントロール

マネジメントと現場指揮を分けることは、とても効率的だった。
 
①ナポレオン戦争
ナポレオンは、GMと監督を兼ねていた。
対するイギリス海軍は、ピット首相とネルソン提督やウェリントン提督。
国王に任命された首相が、現場軍人の働きやすい環境を整備した。
 
②ドイツ帝国
ビスマルク首相とモルトケ参謀総長のコンビで版図を広げた。
工程ウィルヘルム一世がビスマルクに政治を任せ、
モルトケも専門分野以外に口を出さないうちは良かった。
 
しかし、孫のウィルヘルム二世の時代。
軍部が勝手な作戦計画を立案し、政治をないがしろにしてドイツ帝国は滅亡。
 
③フォークランド戦争時のイギリス
サッチャー「戦争になれば、勝てますか」
参謀総長「勝てます」
サッチャー「では、やります」
 
倉山満さんの良い言葉がつづく。
「リーダーたる者、誰に何を聞けばいいのかだけわかっていればいいのです」
 
 
マネジメント側
①判断決断に必要なことを聞く
②リーダーとしての判断決断
③任せる度量と信頼関係
 
プロフェッショナル側
①求められる判断材料の提供
②プロとしての見方の提供
③任せられたら動ける準えと信頼関係
 
役割分担と組織目的の達成のための制度設計が必要だと思いました。
 

統帥権の独立

大日本帝国憲法第十一条
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
 
帝国憲法制定時の日本は、
板垣退助や大隈重信といった自由民権運動が問題だった。
民力休養と対外硬を唱え、
税金をまけろと言いながら戦争を主張した。
こういった政党政治に軍事を任せるのは、
まだ早いというのが伊藤博文たち明治の元老の考えだった。
 
この件でも倉山満さんから参考になる言葉があった。
「いずれにしても政治家は軍事に関する素養を持たなければならないということです」
 
基本的には、天皇の命令以外では軍隊を動かせない。
しかし、軍事というものは、非常に専門的な分野。
そこで統帥権の独立を認めました。
軍事では、天皇や上役にお伺いを立てているうちに
緊急事態が発生または深刻化することがある。
そのため、統帥権の独立によって現実的な軍隊の動きやすさが考えられました。

統帥権の独立についての学者の考え

清水澄
統帥権の独立を認めている。
「軍隊では独断専行は果断と称賛される場合もある」との解釈で乗り切ったこともある。
 
佐々木惣一
統帥権の独立は本来ならば違憲だが、
憲法制定以前の慣習法が続いているので違憲とは言えない。
第一次世界大戦で軍部官僚主義のドイツの敗北を見て、
統帥権独立を非立憲としたとあります。
 
美濃部達吉
統帥権の独立は、極力狭く捉えた。
慣習法の存在を指摘したうえで、
「軍の指揮は機密迅速を要し、特殊専門的知識を要するため」とした。
 

軍部の暴走

 
大日本帝国憲法第十二条
天皇ハ陸海軍ノ編成及常備兵額ヲ定ム
 
大日本帝国憲法第十三条
天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
 
組閣に当たり陸相を新内閣に水戦するには、
陸軍大臣・参謀総長・教育総監の三人の合意を必要とするという内規があった。
次第に、部隊の作戦から国策の重要事項まで介入していった。
「軍の総意だ」を決まり文句に押し進めていった。
 
これはこれでプロフェッショナル側のマネジメント側への介入の事例です。
予算を握る大蔵省が必要な兵器のための予算を組まないのも問題です。
 

感想

統帥権の独立をテーマにした第二部第二章は、
マネジメント側とプロフェッショナル側の関係性について語られていました。
マネジメント側、プロフェッショナル側双方の役割や権限を越えた介入。
それは、組織崩壊に繋がる。
 
健全な制度設計、組織設計とするには、
勝利という目的と効率的な動きが考えられました。
信頼関係を下に、実際の運用がなされること。
骨抜きにした運用をどちら側からもしないこと。
これが重要。
 
また、読みながら度々、企業組織を思い浮かべました。
それは、老舗企業だけでなくベンチャー企業でもです。
他人のアドバイスに耳を傾けると自称しながら、
従業員が無理だとアドバイスしたことに腹を立て精神論に持ち込む悪いマネジメント層。
しかし、これは老舗企業にもベンチャー企業にも存在するマネジメント層なのです。
当然ですが、マネジメント層のすべきことを理解しないプロフェッショナル側も問題ありです。
組織設計について、階級に関係なく議論し合える場が必要だとやはり思います。

倉山満「帝国憲法の真実」第二部第一章

まとめと感想。
 

日米開戦までの流れ

日本は、支那事変から中国大陸各地で戦闘中。
アメリカは、日本と国民党政府の両方へ武器を売っていた。
フランクリン・ルーズベルトは、「隔離演説」で日本を「病原体」呼ばわり。
そして、米国から経済封鎖を受ける。
 
政府や日本軍は、支那事変からのゴタゴタが片付かないこともあり対米開戦は考えられなかった。
世論は、「鬼畜米英」一色。
とても和平は言い出せず。
 
東條英機陸相は即時対米開戦を主張、近衛文麿首相は逡巡。
及川古志郎海相は明確な発言をしなかったが、アメリカを仮想敵にしてきたため雰囲気に流されていく。
 
昭和16年9月6日 御前会議
「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」
昭和帝は、対米開戦不可の意思を示された。
しかし、近衛首相は結論を先送りにするのみ。
 
その後、東條英機が首相になる。
しかし、アメリカは交渉を行わず和平は不可能だった。
 

敗戦、降伏へ

日本全土、帝都東京から地方都市まで空襲される。
「頼む鈴木」
鈴木貫太郎海相が首相になる。
 
7月ポツダム宣言を発する。
8月原爆投下。
中立国ソ連の裏切り。
ここで御前会議はポツダム宣言受諾の方針に流れる。
 
東郷茂徳外相、米内光政海相、平沼騏一郎外相。
ポツダム宣言に1条件追加=和平派
 
阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長。
ポツダム宣言に4条件追加=徹底抗戦派
 
その後、軍隊が武装解除。
アメリカ軍進駐した最初10日間だけで神奈川県は1336件の強姦事件が発生。
 
徹底抗戦派の主張は正論だが、被害拡大が考えられた。
御前会議は3対3、結論が出ず。
昭和天皇「外務大臣の意見を至当とする」
 
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことに決する。
 
和平派と徹底抗戦派が割れた条件とは?
和平派の1条件は、国体の護持。
つまり、皇室を中心とした日本。
 
帝国憲法の1条から4条が変わり憲法典の字面は変わるが、
広義の意味での「皇室を中心とした日本の国家体制」ならという考え。
 
大日本帝国憲法 御告文(訳)
これまでご先祖様より、宝物として日本国を無事に受け継いでまいりました
世の中の文化ぎ発達しましたので、ご先祖様の教えを明らかにするために皇室典範と帝国憲法のかたちで示し、子孫たちが守るべきところとし、臣民たちが従うべき道を広め、国家のかたちをますます強くし、国民の福祉を向上させることになるでしょう。
これすべてご先祖様以来の統治の規範を記したものにほかなりません。
ご先祖様のありがたさを祈り、わたくしが率先して現在と未来の国民のためにここで定めた典範と憲法を守ることを誓います。
お守りください。
 
要するに、国家と国民への祈り。
 

大日本帝国憲法の第一条から第四条まで

 
大日本帝国憲法第一条
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
大日本帝国憲法第二条
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
大日本帝国憲法第三条
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
大日本帝国憲法第四条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ此レヲ行フ
 
第一条
日本は天皇のもの。
第二条
皇室典範と一致。男系男子の継承を基本とする。
第三条
国家の最高儀礼をおこなう存在だから天皇を侮辱してはいけないし、権力を振るってはいけない。
第四条
天皇は国家元首。
「統治権を総攬」即ちすべての統治権を掌握しているが、「此ノ憲法ノ条規ニ依リテ此レヲ行フ」と実際の権力と行使は責任を持って臣下が行う。
 
第一条から第四条までの大きなポイントが「天皇の統治大権」と「天皇の不可侵」。
 

感想

大東亜戦争の開戦時とポツダム宣言を受け入れる一連の流れは、大日本帝国憲法の実際の権力行使と責任の所在が分かりやすい。
ポツダム宣言の受諾時には、目の前に差し迫った被害と戦後の立て直しが考えられた。
結果、ポツダム宣言を受諾し、広義の意味での国体護持を採用することになる。
不屈の精神と日本国、日本国民全体の努力によって立ち直ることを前提に、本来の日本国憲法を取り戻すことを決意したに違いない。
先人たちが耐え難きを耐えたことに敬意を払い、本来の日本のあるべき姿を我々国民が正確に理解し、憲法典においても刻み込むこと。
これで散っていった当時の旧帝国陸海軍将兵と日本国民が少しは浮かばれるのかも知れない。

倉山満「帝国憲法の真実」第一部第三章

まとめ&感想。
 

靖国神社と戦後日本

なぜだろうか?
大東亜戦争後、マッカーサーは日本が強かった理由を考えた。
 
そうか!
「靖國で会おう」と言って特攻攻撃も実行していたのだ。
 
日本から見れば、アメリカ合衆国だけではなく、大英帝国、オランダ、中国国民党、中国共産党とも戦っていた。
アメリカは、その日本に対して市民を巻き込んだ絨毯爆撃や原爆攻撃を行った末の勝利だった。
この物語を潰す必要があった。
旧帝国陸海軍の攻撃で多くのアメリカ将兵が死傷してその武勇には恐怖を抱いていた。
 
マッカーサーは、日本の旧帝国陸海軍の将兵を宗教過激派原理主義者か何かと間違えていた。
そのため、戦後には神道、特に靖国神社への明らかな抵抗があった。
 
靖国神社の位置づけ=別格官幣社+勅祭社
別格官幣社=国のために死んだ忠臣を祀る神社
勅祭社=天皇より勅使を差遣される神社
皇室の神々は祀っていない=神宮ではない
 
別格官幣社は特別な存在。
そのため、宗教活動は出来ない。
 

世界各国の政治と宗教の関係

 
レーモン・テスト
政府の行為は、適法で世俗的な目的を持つものでなければならない。
政府の行為は、その主たる効果が宗教を助長または抑制するものであってはならない。
政府の行為は、政府と宗教との「過度の関わり合い」をもたらすものであってはならない。
 
アメリカ大統領の宣誓
キリスト教の聖書に手を置いて宣誓をする。
しかし、それだけでキリスト教だけのために政治を行ったり、
どこかの宗派が優遇されるものではない。
 
アーリントン墓地や各国の軍人墓地
特定の宗教や宗派の軍人のみが入れるといったものではない。
キリスト教だけではなく、仏教やイスラム教やヒンズー教徒も戦死などすれば入ることができる。
 

感想

靖国神社は、戊辰戦争に参加した軍人たちを祀っている。
また、大東亜戦争で祀られている軍人の中には朝鮮半島出身の旧大日本帝国軍人も存在する。
これは、宗教だけでなく出身も分け隔てないもの。
世界各国の政治と宗教の事例を出しながらも日本の靖国神社では
ここまで分け隔てなく平等に祀っている。
このことをまず前提とした議論を行いたいもの。
 
また、公明党の支持母体は創価学会。
創価学会は、彼らの理想を公明党の主張に反映させようと常にしている。
護憲を叫ばせようとしたり。
そうはいうものの、現実的に公明党はすべてを受け入れ反映させることはできない。
創価学会の考えばかりを盛り込むことになり、他国のレーモン・テストにも触れる状況になる。
しかし、この点だけを見て、公明党と創価学会の対立と言うマスコミも変なものだな。
マスコミは、創価学会に忖度しすぎだ。
公明党も創価学会もマスコミも変態だが。

倉山満「帝国憲法の真実」第一部第ニ章

まとめ&感想。
 

自衛隊は軍隊か?

日本国憲法第九条第一項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
日本国憲法第九条第二項
前項の目的を達するため、陸海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
不戦条約第一条
締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス
 
1パクった
2マッカーサーノートにヒントあり
 
第ニ原則 戦争放棄
国家の主権としての戦争は廃止される。
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。
日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権を与えられることもない。
 
1陸海空軍戦力の保有から否定された。
2防衛戦争も否定された。
 
芦田修正案→金森修正案だった
「前項の目的を達するため」を付け、侵略戦争のための戦力を持たない(防衛のための戦力は持つ)に解釈変更で憲法九条を骨抜きにするため。
 

では自衛隊の存在は?

 
軍隊の国際法上要件
1責任ある指揮官のもとに
2識別しうる標識を有し
3公然と武器を携行し
4戦争法規を守る集団であること
 
軍隊は4条件を守って人を殺しても罪は問われない。
現実、123はOKだが、4が自衛隊は不完全。
例えば、反政府ゲリラや共産主義ゲリラは国際法も違反。
 
無差別爆撃をしているB29。
機外へ脱出したアメリカ兵を捕らえた場合、アメリカは「捕虜資格のある軍人」と主張可能。
日本は「我が国の民間人を殺している国際法を守らない軍人」と主張可能。
 
憲法九条で完全否定しているが、現実は驚異を与えてくる周辺国がいる。
現実、解釈で「自衛隊は軍隊ではない」と主張するしかない。
ここに法的問題を抱えている。
 
朝鮮戦争勃発
一時は釜山以外すべてを占領され北九州の眼前が北朝鮮だった。
巻き返し38度線で休戦するが、この時の教訓からマッカーサーは日本に再軍備を求め出す。
時の吉田茂内閣総理大臣は日本国憲法を盾に再軍備を拒否。
警察のようなものである警察予備隊として発足。
海上保安庁のようなものである保安隊。
軍隊のようなものである自衛隊となる。
 
実際の軍備も不十分な自衛隊
現役軍人の概数(万人)
ロシア96
中国229
北朝鮮120
韓国66
米国157
台湾29
日本22.5
 

自衛隊と憲法解釈

吉田茂首相
「自衛のための戦力は合憲」
しかし、
木村篤太郎初代防衛庁長官
「近代戦に適応しうる装備と編成」を憲法で禁止した「戦力」と主張。
これに対し、
林修三法制局長官
「戦力」とは「必要度の最低限度の実力を超えるもの」と再定義した。
「自衛のための戦力は持って良い」
 
林修三法制局長官
「自衛権とは外国の侵略を排除するのに必要な限度を超える力」
「自衛行動は不戦条約や国連憲章で禁止されている戦争ではない」
「(返還前の)沖縄や小笠原にも自衛権は及ぶ」
 
しかし、肝心の戦力が無い。
 
時は鳩山一郎内閣。
当時の日米安保条約では軍令権はアメリカが持っていた。
杉原荒太防衛庁長官
「独力で日本を防衛するのは困難」
「集団的自衛権を行使できない」とは言っていない。
「いざという時に言うことを聞かないつもりか」と言われるため。
 
高橋通敏外務省条約局長
「憲法で制限された範囲で集団的自衛権を持っている」
藤山愛一郎外相
「在日米軍基地が攻撃されれば守る。
共同動作を取る」
岸信介政権は、一方的に防衛してもらう条約→在日米軍基地の防衛で責務を果たし、対等防衛にちかづけた。
 
池田勇人内閣まで核武装容認。
時は、佐藤栄作内閣。
有事のための法整備を進める中、野党から有事の研究はけしからんと批判。
これに佐藤栄作は、あっさり謝罪。
「二度とこういうことはしません」と発言。
「自衛権の限界は他国に脅威を与えない範囲」←なぜ日本の防衛力を他国が決めるのだ?とおかしい。
「自衛権の限界は通常兵器による局地戦に対応できることを目標」←総力戦になれば対応できない体制で国民に責任は果たせるのか。
「自衛隊を軍と呼びません」←防衛力の復活の扉を閉ざすのか。
「小笠原と沖縄には、返還されない限り自衛権は及ばない」←返還されたくない?
「国連の制裁活動への参加は、憲法が禁止する武力の行使」←国際平和を希求する理想に追随してるかも不明
通常兵力を削減しながら非核三原則でトドメ。
 
安倍政権は、これら高辻正己内閣法制局長官以降のこの政治的負の積み上げから修正しようとしている。
 
日本国憲法第六十六条第二項
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
 
かつて、
× 旧軍人
× 軍国主義思想←どうやって見極めるの?
× 現職自衛官
 
フランス宰相ジョルジュクレマンソー
「戦争は軍人だけに任せておくには、あまりにも重大である」
政治的意思決定から戦費調達や兵器調達など戦争のマネジメント面
そして
指揮命令から最前線までを担う面
ここを分けることがシビリアンコントロール(文民統制)。
 
日本国憲法第七十六条第二項
特別裁判所は、これを設置することができない。
行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
 
特別裁判所=軍法会議を想定
自衛隊には軍法会議が無い。
敵前逃亡は死刑(軍法会議が裁く)
 

感想

憲法九条は改正が必要だけど、自衛隊が実際に脅威を排除でき、国際法でも難癖を付けられない完璧なものでなくてはならない。
何より我ら日本人があるべき姿を躊躇なく求め、文明国としての責任ある立場を考えなければならない。
憲法は、その確固たる意志を刻むものではないか。
 

倉山満「帝国憲法の真実」第一部第一章

これのまとめ兼感想を。
 
日本国憲法前文
1読みづらい
2日本語でも原文の英語でも主語が多い
3We,the Japanese peopleを日本国人民ではなく日本国民はと訳した
→君主国の国民はsubject臣民でありpeople人民ではない
 

主権

1外国の干渉を排する力(国際法はこちらの意味)
2その国を絶対的に支配する力
 
帝国憲法でも「主権」は使われていない。
「統治権の総攬者」として捉え、これは天皇が民に横暴なことをしてはいけないし、
逆に天皇に全ての責任を負わせることを危惧したもの。→対外的配慮
 
上杉慎吉、徳富蘇峰、穂積八束→天皇主権説
吉野作造→君主を主権者と言おうが最高機関と同じ。通俗的には主権は君主に。「予の民本主義論に対する北氏の批評に答ふ」
美濃部達吉→法律家的観点。「天皇主権」という言葉を避けた。
吉野、美濃部→天皇主権による責任問題を回避。
 

憲法や民主主義に対する姿勢

 
五箇条の御誓文
一、広く会議を興し万機公論に決すへし
国民全員に参政権を与えようという意味ではない。
明治天皇は国の原則を示し、国を守るために日清日露の戦争に協力した国民に参政権を与えるのが、憲法に立脚した政治であると主張。
 
ポツダム宣言第十条
連合軍は「民主主義的傾向の復活強化」をさせようという立場。
つまり、日本がアメリカや連合軍に民主主義を教わった訳ではない。
 

君主と民

金森徳次郎憲法担当大臣と部下の法制局官僚の努力で、
帝国憲法での「臣民」に代わり「国民」をあてた。
 
世界の西欧列強では民を虐げた。
日本では民は大御宝とされ君主領主は横暴に振る舞うわけにはいかなかった。
 
幕末の尊皇家も「王土王民」「君民境地」を唱え、
西欧の絶対主義に真逆の考えで国家運用を考えた。
帝国憲法「天皇と臣民」
外国憲法「君主貴族と民」
天皇は万葉集では乞食と一緒に歌を詠んだ。
欧州の君主、王侯は親戚同士。民を虐げ、民からは革命を起こされ倒された王朝もある。
違いは憲法にもよく表れた。
 
宮沢俊義「憲法の枠内で国民は最大限の権力行使ができる」「その権力は選挙を通じて国会で」
国民に全権力?誰が責任者?
松本烝治初代憲法担当大臣→宮沢俊義の主張する国民主権に対して反対
 

感想

憲法は、その国の歴史、お国柄をよく表しているものだと思いました。
君主が民をどう見ているのか、民が君主に対してどう見ているのかも見えてくるものだと思います。
主権という言葉には、天皇主権にしても国民主権にしても使いづらさがある。
どのように天皇の立ち位置を定めたのか、
どのように共に民たちの立ち位置を定めたのか、一定レベルでの腹落ちした理解をしたいものです。