前回記事「仏典を読む(その38)勝鬘経2」の続きです。

 

 勝鬘は、釈尊から授記される(将来仏になると予言される)と、「私は、今日から仏となる日まで、これから述べる誓いを全て守ります」と言って十の誓いを立てた。

1 私は授けられた戒を守り、それを犯す心を起こしません。

2 尊い方々を敬い、蔑むような慢心を起こしません。

3 誰に対しても、怒りや攻撃の心を起こしません。

4 裕福で境遇の良い他人を羨む心を起こしません。

5 自分の物、他人の物に関わらず、物を惜しむ心を起こしません。

6 自分のために財物を蓄えません。全ての財物は貧しく苦しむ人々を救うために用います。

7 布施・愛語・利行・同事を行じます。愛着・倦怠・執着の心を持たずに一切衆生を受け入れます。

8 孤独、囚人、病人を見れば、安穏に導きます。

9 卑しいとされる仕事を生業にする者や、諸々の戒を犯す者を見捨てず、時には厳く諭し(折伏)、時には穏やかに受け入れること(摂受)で、正しい道に導きます。

10 正法を堅持することを忘れません。正法の堅持を忘れることは大乗を忘れることであり、大乗を忘れることは波羅蜜を忘れることで、波羅蜜を忘れることで大乗を求める心を失うこととなります。大乗の教えに確信がないならば、正法を身に保つことができません。

 そして、勝鬘は「今私が申し上げた誓いが正しいのであれば、ここにいる人々に天の花々を降らし、天の素晴らしい音をお聞かせください」と釈尊にお願い申し上げた。

 

 これに対し、釈尊は、勝鬘の言うとおりに天の花々を降らし、美しい声をもって「そなたの言う通りである。そなたの誓いは真実である」と応えた。釈尊と勝鬘のやり取りを見守っていた人々は、天の花々と美しい声によって疑いの心を除き、限りなく喜び踊り、「私たちは常に勝鬘と共に道を歩みます」と願いを述べた。釈尊は、人々に対し、「そなたたちは全て、願のとおりとなるだろう」と記を授けた。

 

【メモ】

 お釈迦様と会ってまだ間もないのに、仏になることを予言されてグイグイ行く勝鬘です(笑)。勝鬘は、お釈迦様と会って前世の仏道の記憶を思い出したのか、はたまた、お釈迦様に感化されて仏の眼が開いたのかわかりませんが、大乗仏教の核心とも言える十の誓いを宣言します。この十の誓いは「十大受」として有名です。その内容は、具体的で非常に分かりやすく、お釈迦様が正しいと認めていますので、我々としてはこれらを実践すればいいわけですけど、「財産を全て人のために使う」とか「〇〇の心を起こしません」(行為だけではなく想起すら禁じるのはキツ過ぎる…)とか、実際には行うのは極めて難しいです。ただ、難しくとも、これに少しでも近づけるという努力をしていきたいところです。

 私個人が一番注目するのは7番目の誓いです。「布施・愛語・利行・同事」、これらは、四摂法(ししょうぼう)といって、仏教における人との接し方に関する4つの教えのことをいいます。それぞれ、「与えること」「優しい言葉を使うこと」「相手のために行動すること」「行動を共にすること」を意味しますが、サラリーマンである私は、現在、この四摂法を最重要の行動原理としており、特に最後の「同事」を強く意識しています。同僚と協力して業務に取り組み、その成果を全て同僚に与えてしまう…(一方的に与えるのではなく、一緒に頑張った同僚に与えるというのがポイントです)。これこそがサラリーマン仏道の極みであると考えています。

 

 次回に続きます。