前回記事「仏典を読む(その25)観無量寿経4」の続きです。

 

【観無量寿経】5

⑩ 釈尊はさらに阿難とイダイケ王妃に仰せになった。

お前たちは私の言うことをよく聞き、深く思いを巡らせるがよい。私は今からお前たちに苦悩を取り除くための教えを説こう。これをしっかりと心にとどめ、多くの人たちのために説き広めるがよい。

 釈尊がこの言葉を発すると同時に、阿弥陀仏が突然空中に現れた。そしてその左右には観音菩薩と勢至菩薩が付き添っておられた。その光明はまばゆく輝き、はっきりと見ることができない。イダイケ王妃は、阿弥陀仏を目の当たりして、釈尊の足をおしいただき、礼拝して申し上げた。

世尊、私は今あなたのお力で、阿弥陀仏と観音菩薩と勢至菩薩を拝ませていただきましたが、あなたが世を去られた後、残された人々は、どのように阿弥陀仏と菩薩がたを拝むことができるのでしょうか。

⑪ そこで釈尊は仰せになった。

イダイケ王妃よ。阿弥陀仏を拝みたいと思うのであれば、次のように想い描くがよい。

まず、七つの宝でできた大地の上に蓮の花があると想い描く。84000の花びらには84000の美しい筋があって光り輝いている。花びらは小さいものでも2000kmあり、花びらの間には100億の宝玉が飾られており、その光明は天蓋のように広く地上を覆っている。蓮の花の芯は宝玉でできた台座となっており、台座の上には宝の柱があり、百千万億の須弥山を重ねたように高く、頂上にある幕は宮殿のようであり、500億もの美しい宝玉で飾られており、その光は84000の異なった金色に輝き、それは金剛の台、真珠の網、花の雲など、見る者の思うままの姿をとなり、仏の優れたはたらきを表している。このように思い描くことを華座想といい、第七の観と名付ける。

 さらに釈尊が阿難に仰せになった。

阿難よ。極楽浄土の素晴らしい花は、元々法蔵菩薩の本願の力によって出来上がったものである。阿弥陀仏を想い描こうとするなら、まずこの蓮の台座を思い描くがよい。ただし、雑然と思い描いてはならない。花びら、光、台座、宝柱をそれぞれ一つ一つ正しく想い描かなければならない。これが成就したなら、216兆年の迷いの元となる罪が消えて、必ず極楽浄土に生まれることができるだろう。

 

【メモ】

 「極楽浄土の想い描き方講座」が終わると、続けて「阿弥陀仏と観音菩薩と勢至菩薩の思い描き方講座」が始まります。

 その描写では、「直径2000kmの花びらが84000ある」などと、相変わらずのインフレ表現が継続中です。仏教では「84000の法門」などと、84000という数字が「すごく多い」という意味でよく使われます。

 極楽浄土の花を思い浮かべる「華座行」については、いつにもまして難しい内容となっていますが、「蓮の花の台座」がキーワードとなっており、仏の姿を思い描くには、まずは、仏や菩薩の方々が座る蓮の花の台座からイメージせよとお釈迦様は言っています。そして、複雑怪奇な極楽浄土の蓮の花ですが、これらを想い描く時は、雑に行ってはならず、一つ一つ正確に想い描かなければならないと言っています(無理です)。

 ただ、これらを正しく思い描けることができれば、216兆年の迷いの元となる罪が消滅して極楽浄土に生まれ変わることができるのだそうです。原典には「5万劫」と記されていますが、1劫が43億2000万年らしいので、ここから、216兆年という計算になります。もはやハイパーインフレ。

 

 次回に続きます。