浄土三部経の要約も残すところは観無量寿経だけとなりました。今回から数回にわたって観無量寿経の要約記事となります。浄土三部経において、無量寿経が「浄土思想の教科書」、阿弥陀経が「浄土思想のパンフレット」であることに対し、観無量寿経は「浄土思想の実践マニュアル」のような内容となっています。

 観無量寿経は、我が国の仏教において、無量寿経と並ぶ非常に重要な経典です。このブログを読まれる皆様にとって、良き仏縁になるよう、可能な限り丁寧な要約をして内容を紹介していきたいと思います。

 

 【観無量寿経】1

 

 次のように私は聞かせていただいた。

 

① ある時、釈尊は、王舎城の霊鷲山においでになって1250人の優れた弟子たちと、文殊菩薩をはじめとする32000の菩薩たちと一緒であった。その当時、王舎城にアジャセ(阿闍世)王子がいて、ダイバダッタ(提婆達多)という悪友にそそのかされて反乱を起こし、父のビンビサーラ王を捕らえて牢獄に幽閉していた。しかし、ビンビサーラの妃であったイダイケ(韋提希)王妃が王の身体を気遣って密かに食物を運んでいたことから、ビンビサーラ王は、餓死することなく、また、王の友人であり、釈尊の高弟である目連の神通力による助けを受けて幽閉されながらも仏の教えを聞くことができたので、表情は穏やかで喜びに満ちていた。

 

② ある日、アジャセ王が牢獄の門番に対し、「父はまだ生きているか」と尋ねたところ、門番は「王子の母君が密かに父君に食べ物を運んでおられます。また、仏弟子の目連尊者が父君に仏の教えを説いておられます。そのため、父君は健在です。私たちにはこれをとても制止することができません」と答えた。アジャセ王はこれを聞いて怒り、「罪人である父の味方をする母も仏弟子どもは悪人だ。怪しげな術を使って悪王である父を助け、何日も生かしておくとは持ってのほかだ」と言って、剣をとって母のイダイケ王妃を殺そうとした。

 

③ その時、聡明なゲッコウ(月光)という大臣が同僚のギバ(耆婆)と共にアジャセ王に対し、「王様、毘陀論経(バラモン教の聖典)の中によると、王位を望んで父を殺した者が18000人に及ぶとされていますが、母を殺すというという非道な者がいるということは聞いたことがありません。もし、王様が母君を殺すというのであれば、我々はもはやここにいるわけにはまいりません。どうか、母君を殺すことだけはおやめください」と言った。これを聞いたアジャセ王は、自分の行いを悔い、二人の大臣に許しを求め、母を殺すことを思いとどまったが、王宮の奥深くに母を幽閉することとした。

 

【メモ】

 まず、冒頭で、観無量寿経が説かれる場所、すなわち、釈迦の滞在場所が、古代インドマカダ国の都市「王舎城」にある霊鷲山であることが記されています。マガダ国には仏教初の寺院である竹林精舎があり、そして、霊鷲山は法華経が説かれる場所でもあり、それぞれ仏教の超重要な聖地として現在に伝わっています。

 登場するビンビサーラ王は、史実上、仏教に帰依したマガダ国の王として知られ、その息子であるアジャセ王子は、ビンビサーラ王に対して反乱を起こした人物と伝わっています。観無量寿経のストーリーは、古代インドのマガダ国におけるビンビサーラ王とアジャセ王子の親子抗争という史実?伝説?が舞台となって進んでいきます。

 

 次回に続きます。