前回記事「仏典を読む(その10)無量寿経(上巻)6」の続きです。

 前回は、法蔵がすでに悟りを開いて阿弥陀仏になっていると明かされ、建設された極楽浄土の有様についての話でした。

 今回も止まることなく、極楽浄土の素晴らしさがひたすらに説かれます。ゲップ

 

【無量寿経(上巻)】5

 

⑭ 極楽浄土には、七つの宝でできた宝樹が立ち並んでいる。金の幹に銀の花と葉と実をつけたものがあり、また、瑠璃の幹に水晶の花や葉や実をつけたもの、あるいは、金の根や瑠璃の枝をつけたものなど、非常に多様な宝樹が見られる。これらの宝樹が整然と立ち並んでおり、風にゆらぐ宝樹は様々な音色を奏で素晴らしく調和している。

 極楽浄土の菩提樹は、高さが1,5600,000kmあり、枝葉は四方に780,000kmに広がっており、宝の王と呼ばれる「月光摩尼」「持海輪宝」で飾られており、この上なく美しく輝いている。目・耳・鼻・舌・身の五感で菩提樹を感じる者は、無生法忍(空思想)を理解し、得られた悟りの智慧については将来に失われることがない。それらは、すべて無量寿仏の計り知れない力と本願(救済の誓い)によるものである。

 

⑮ 世間の帝王は様々な音楽を聴くことができるが、転輪聖王(正義をもって世界を修める理想の王)の聞く音楽の方が1000億倍優れており、多化自在天(いわゆる魔王)の音楽はさらにその千億倍も優れており、そして、極楽浄土の音楽はたった一音だけでも、それらの千億倍も優れている。極楽浄土には、すべての世界の中で最も優れた音楽が限りなく存在し、それらの音楽を聴くことは素晴らしい教えを聞くことと同じである。

 

⑯ 極楽浄土の講堂や宮殿といった建物は七つの宝で美しくできていて、近くには多くの水浴びの池があり、不思議な力を備えた水で満たされている。水は爽やかな香りで甘露のような味がする。池の底は七つの宝で満たされている。池に入ると、水量や温度、水流の調節が思うままであり、身も心も爽やかになって心の汚れも取り除かれる。池のさざ波の音は、悟りをたたえる声、空・無我を説く声、仏法僧の三宝を説く声のように素晴らしい内容に聞こえる。苦しみである地獄や餓鬼や畜生の名(発音)はなく、美しく快い音だけがあるから、その国の名は極楽というのである。

 

⑰ 極楽浄土で食事をしたいと思えば、七つの宝でできた器がたちまち現れ、そこには素晴らしい食べ物と飲み物が溢れるほど盛られている。これらを実際に食べる者はいない。見て香りを嗅ぐだけで食べ終えたと感じ、自ずから満ち足りて身も心も和らぐのである。人々は、その素晴らしい味に執着することはない。満たされるとそれら食べ物は消え去る。

 

 

【メモ】

 読み込むと、いろいろツッコミどころのある面白い内容です。

 

⑭については、極楽の木々が、仏教お馴染みの七宝(金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯)で組成されていると説明されています。「葉が金で枝は銀で、いや、葉が琥珀で花は瑪瑙で、はたまた、幹が珊瑚で葉は銀で…」などと、いろんな組み合わせに言及していて、やたらと説明が長い。あと、極楽にある菩提樹はデカいようです。その高さは地球390周分です。極楽浄土の菩提樹は、見たり、匂いを嗅いだり、舌で味わったり、そよ風を聞くだけで高度な悟りに至るとあります。

 

⑮では、音楽好きな方注目です。極楽浄土の音楽はドとかミとかの単音だけで、我々が現世で毎日のように聴く音楽の1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000倍も優れているそうです。そもそも単位はなんでしょうか(10構でいいのかな…)。音が仏道の教えを兼ねているそうですが、実際のところ、音からインスピレーションを得るということは結構ありますね。ちなみに、仏教では、十戒の一つとして「歌舞観聴戒(かぶかんちょうかい)」があり、音楽や芸能など娯楽をしてはいけないとされているんですけど、いいんでしょうか…。いや、極楽では、そういう次元を超えているんでしょうね。きっと。

 

⑯では、スーパー銭湯in極楽浄土です。湯加減・湯量・水流すべてが思うままで身も心も爽やかになるようです。風呂のさざ波の音だけを聴くだけ悟りを開くそうです。ウルトラ銭湯。

 

 

⑰では、極楽グルメの紹介です。器が宝石だというところが料理人のこだわりを感じます。食べなくとも見て嗅ぐだけで満足してしまうという。それ、料理の意味あるんでしょうか…。そういや、ラーメン二郎なんかも、見て匂いをかぐだけで結構満足できますね。以前から魔界の食べ物だと疑っています。

©食べログ ナツメグさん

 

 

次回、無量寿経上巻の要約、ようやく最終回です。

 

次回に続きます。