前回記事「仏典を読む(その8)無量寿経(上巻)4」の続きです。

 前回に引き続き、「四十八願」を詳しく見ていきたいと思います。今回は願18に大注目です

 

 

願32 私の国の建物・自然・全ては様々な宝や香りでできていて、香りをかいだ菩薩たちは仏道に励む

 極楽浄土では、至る所が宝石や黄金で飾られており、また、美しい香りが漂っているそうです。今後の仏典要約でも、これでもかと言わんばりに、極楽浄土の豪華絢爛さをお伝えすることになりますが、はっきり言ってお腹いっぱいですね。

 そもそも黄金とか宝石などというものは、希少価値の有無が重要なのであって、当たり前のように存在するのであれば、道端の石ころと変わらず、すぐに飽きられてしまうでしょう。しかし、「当たり前のように存在する」ということこそが重要なポイントで、当たり前=飽きる=執着しない=「空」ということなのかもしれません。

 アメリカの心理学者マズローが提唱した「欲求5段階説」という学説があります。人間の欲求には、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の五段階があり、まずは、「衣食住と生命の安全」、その後は「仕事のやりがい、社会的地位」、最終的には「自己実現」とレベルが上がっていくという内容です。これを当てはめて考えると、極楽では、人々の要求を満足させるものは全てある…。そうなると、あとは「悟り」だけに焦点が当てられる…ということなのではないでしょうか。

 

 

願35 他のすべての仏の国の女性が私の名を聞き、悟りを求める心を起こして女性であることを嫌えば、死後は再び女性に生まれかわることはない

 内容を見れば、明らかに、女性を低く捉える男尊女卑の価値観が表れています。古代インドでは男尊女卑の傾向が強く、当時の仏教もその価値観から完全には逃れられなかったようです。前回、極楽の住民が持つ特徴(仏の三十二相)として「チンコが目立たない(馬陰蔵相)」という話を紹介したように、極楽の住民は全て男性であり、女性は存在しないという説があります。

 法華経にも、「女性はいったん男性に生まれかわってから悟りを開く」という記述(変成男子)が見られます。ただ、何とか弁護するとすれば、大乗仏教においては、最終的には女性も成仏できるという記述までには至った…ということでしょうか。

 仏教における女性差別については、結構深刻な内容を含んでおり、各宗派もその対応には苦労しているようで、いずれブログの一記事として詳しく取り上げたいと考えています。

 

 

願18 私を心から信じ、私の国に生まれたいと願った人々は、10回でも念仏すれば私の国に生まれることができる。ただし、父母や聖者を殺す、仏を傷つける、仏教教団を破壊するなどの「五逆の罪」を犯す者は除かれる

願20 私の名を聞き、私の国に思いをめぐらして功徳を積み、私の国に生まれたい者は、私の国に生まれることができる

 願18と20では、極楽浄土へ生まれ変わるための具体的方法として、「阿弥陀仏を心から信じ、極楽浄土に生まれかわりたいと願い、念仏を唱える、あるいは、功徳を積む」という旨が記されています。

 この願18については、法然が「本願中の王」として最重要視しており、現在でも、日本仏教の最大勢力である浄土教宗派(浄土宗・浄土真宗)における思想の中核となっています。法然は、存命当時、「智慧第一の法然房」などと比叡山延暦寺の天才として知られており、現在のイメージでいえば東大のトップ学者のような存在でしたが、そのレベルでも「悟りを開くことは無理」と実感し、その結果として、第18願に自身の仏道を全面的に委ねました。願11において極楽浄土では悟りを開くことができる旨が記されていますので、まずは第18願に従い、念仏を行って極楽浄土に生まれ変わり、その後に悟りを開こうと考えたのでしょう。

 なお、願18では、「五逆の罪を犯した者は除く」と恐ろしいことが書かれています。釈迦も阿弥陀仏も、五逆を犯した者に対しては本当に容赦ないです。我が国において、仏教教団を破壊することや聖者を殺すという事態は考えにくいですが、父親や母親を殺すことは普通にありえるわけですが…。

 

 

次回、経典要約に戻ります。