前回の記事「浄土宗・祐天上人(その2)」の続きです。

 

 力づくで菊に念仏を唱えさせることに成功した祐天ですが、その後、どのような変化があったでしょうか。

 

 祐天は「累はどうなった」と菊に問います。すると、菊は「たった今、累は私の胸の上から降りて、私の右手を取って傍にいます」と答えます。そこで、祐天は、菊に念仏を更に10回唱えさせ、再度同じことを問うたところ、菊は、「もはや累は見えなくなりました」と答えます。ここで、累を成仏させることに成功したことが明らかになり、その場にいた者たちは喜びます。

 

 なお、詳細は省きますが、この後も物語は続き、後日、累の義兄である「助」(すけ)の霊が「累がうまく成仏できたので、羨ましくなって自分もやってきた」と言って菊に憑依しますが、これに対して、祐天は、累とほとんど同じような方法で成仏させることに成功し、これをもって羽生村の怨霊事件は全面解決となります。

 

 

 …さて、ここまで大変面白い内容でしたが、ここからは、私の感想を含めて考察に移りたいと思います。まず、怨霊として有名な累ですが、実のところ物語を通して一度もその姿を見せませんでした。というのも、累の存在・容貌については、全て菊の口を通じて語られているのです。祐天は「今、累はどうなっている?」と度々質問しており、一度も累の姿を見た様子がないということは注目すべき点でしょう。つまり、祐天は怨霊を自ら見る能力がなく、また、対話する能力もないということが分かります。

 

 そして、振り返って、祐天が行った内容を改めて確認すると、経・陀羅尼・念仏を唱えたものの効果がなく、累が憑依した菊自身に念仏を唱えさせた…ということだけです。すなわち、祐天による怨霊の浄霊においては、漫画「呪術廻戦」のように、霊能力者が霊力や呪術をもって怨霊をなぎ倒すといった場面は一切なく、ただ、怨霊の憑依者に念仏を唱えさせただけなのです。祐天は特別な霊能力を持った僧侶ではない。となると、浄土宗の僧侶であれば、祐天と同じことができたのでは…?とも思えてきます。

 

 これまでの記事で述べたとおり、羽生村の怨霊事件は、1690年に出版された「死霊解脱物語聞書」によって伝わりました。この書物は残寿という浄土宗の僧侶が羽生村の村民にインタビューをして執筆したものであり、実際に、書物内に出てくる人名や地名の実在が確認されています。さらに、書物が出版された時には菊が存命でしたので、証人が多数生きている以上、極端に荒唐無稽な内容に脚色されていたというわけではないとも思えます。

 

 書物のとおり、本当に累の浄霊が行われたのかもしれませんが、私としては、祐天が仏法を基にしたカウンセリングを行い、ヒステリー症状に陥っていた菊を回復させたという部分が大きいのでは…などと想像しています。

 いずれにしても、祐天が菊という一人の苦しむ女性を救ったことは僧侶としての役割を立派に全うしています。それは、事件の真実や、怨霊の実在性を問うことよりも重要なことなのでしょう。

 

 次回に続きます。