前回記事「怪談「累ヶ淵」と仏教(その3)」の続きです。

 

 実話に基づいて執筆されたという怪談「累ヶ淵」。実話であれば、現地には当時を偲ばせる史跡がたくさん残っているはず…。ということで、今回は「累ヶ淵」の現地レポとなります。

 

 累ヶ淵の舞台となった羽生村は、現在の茨城県常総市羽生町にあります。東京の自宅からバイクを走らせて1時間程度でした。つくばや土浦には仕事でよく訪れますが、茨城県内はいつも道が空いていて運転が気持ちよくて良いですね。

 

 常総市羽生町に到着後、まずは累の墓参りから。こちらは、同町にある浄土宗寺院「法蔵寺」です。1592年創建の古刹で、境内には、累・助・菊の墓があることで有名で、また、事件を解決した祐天上人の縁の品が納められています。

 

 

 

 本堂では、祐天上人・累・助・菊の像が厨子内に納められており、また、累・助の成仏に使用したという、数珠が残されています。残念ながら、お寺の人はご留守だったようで、本堂内に入ることはできませんでした(そもそも日常的に入堂が許されているか不明ですが…)。上の写真は観光いばらきのHPからお借りしました。お寺の人に会えたら、詳しいお話を聞いてみたかったのですが、残念。

 

©観光いばらき(http://www.ibarakiguide.jp/spot.php?mode=detail&code=559)

 

 こちらが累の墓所となります。この日は土曜日の昼でしたが、境内にとどまらず、周辺一帯、人の気配が全く感じませんでした。というか、羽生町に入ってから参拝を終えるまで誰にも出会わなかったです。そんなわけで、日本屈指の怨霊とされる人物の墓をたった一人でお参りするわけで、ものすごく怖いです(笑)。ここは夜一人で来るのはキツイでしょう。…いや、祐天上人がすでに累を成仏させているわけですから、ここには恐ろしい累の怨霊はいない…という理解でいいんでしょうか。「うんこー」とか叫んでも大丈夫でしょうか。

 

 そして、墓所を前にしてふと思ったのは、「そもそも、野次馬根性で人様のお墓に訪れていいものなのか」ということ。いや、「あなたのことブログに書かせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」という御挨拶のために訪問した…ということならば正当な理由かな…などと、自分を納得させたりして墓所に入ります。

 

 

 真ん中が累の墓、右が助の墓、左が菊の墓です。「死霊解脱物語聞書」では、累が自らの供養のために石仏の建立を要求しますが、こちらがその石仏だということです。他にもたくさん古い石仏・石塔があって、お参りする人はこれらに囲まれる形になります。しつこいようですけど、ものすごく怖いです(笑)。「うんこー」とか叫ぶことは、とてもできません。

 

 境内にある「法蔵寺」と「累の墓」の説明書きです。「心優しい娘に成長した累は、旅に病む他国者を助け、婿に迎える」と記されており、「死霊解脱物語聞書」にある「性格が悪い」という言い伝えと異なります。聞書自体が事件発生時に関係者に聞き取りを行って執筆されたと考えると、寺の言い伝えが正しいのかどうか分からなところはありますが、少なくとも容貌が醜いことと、怨念の累の性格がヤバかったのは共通しているようです。

 

 次回に続きます。