前回記事「怪談累ヶ淵と仏教(その1)」の続きです。

 

 元禄三年(1690年)に江戸で「死霊解脱物語聞書」という仮名草紙(庶民向けの読み物)が出版されました。この作品は、下総国の羽生村(現・茨城県常総市)で実際に発生したとされる「幽霊事件」を題材としており、作品内には、作者が「残寿」という浄土宗の僧侶であること、また、この僧侶が現場の村人や寺院にインタビューをして執筆したという旨が記されています。

 

 作品内に見られる地名や寺院などは、現在でも常総市内に存在しており、また、登場人物の名前が同地域の寺院の過去帳にも記されていますので、それぞれ実在をベースに執筆されたことが推察されます。

 

 作品のあらすじを以下に述べます。

 

① 羽生村の与右衛門は、後妻の連れ子であった「助」(すけ)を「容貌が醜い」という理由で殺害します。その後、与右衛門は女児に恵まれますが、「助」にそっくりの醜い容貌でした。そのため、村人は女児を「助」と重ね合わせて「累」(かさね)と呼ぶようになります。

 

② 累は、村の人々に忌み嫌われ、非常に性格の悪い大人になります。しばらくして、両親が亡くなって独り身となりますが、遺産を得たので流れ者の男を二代目の与右衛門として婿にとります。その後、与右衛門は、性格も容貌も悪い累を憎むようになり、累を川に沈めて殺害します。

 

③ 累の死後、彼女の財産を手に入れた与右衛門は後妻をもらいます。しかし、後妻たちは次々と死んでいきます。そのような中、6番目の妻が菊という女児を産みます(その妻はその後死にます)

 

④ 菊が成長したある日、累の怨霊が現れます。そして、菊に憑依して自分が殺された事実を語り出します。これに観念した与右衛門は剃髪して謝罪するものの、累の恨みは晴れることはなく、菊の体から一向に離れません。累は、村の名主との話し合いの中で「念仏による供養」を要求します。そこで、名主は村を挙げての念仏を行ったところ、菊の体から累が離れます。

 

⑤ しかし、その後、累が再度現れて菊に憑依し、今度は「石仏の建設」を要求します。石仏は高額なので村側が拒絶すると、累は、かつて村人たちが行っていた悪事の暴露を始め、村は「代官にバレると村がつぶされてしまう」と恐れます。

 

⑥ 羽生村の近くにある弘経寺にいた浄土宗の祐天上人は、この事態を見かねて、累の霊に立ち向かいます。祐天上人は、累との大格闘の末、累が憑依する菊の体を押さえて、髪を引っ張り、無理やり念仏を唱えさせることで、累を成仏させることに成功します。

 

⑦ めでたしめでたし…と思いきや、また菊に累の霊が憑依します。祐天上人が再度これに立ち向かったところ、憑依しているのは累ではなく、①で殺された助(すけ)の霊であることが分かります。助は「累が成仏したことを羨んで自分も菊に憑依した」と述べます。祐天上人は、これに同情して涙を流し、助に戒名を与えて成仏させます。

 

 これによって、羽生村の幽霊事件は解決となります。

 

 以上、現代のサスペンスホラーを彷彿とさせる完成度となっています。内容は、極めて陰惨なのですが、実のところ「つながり」が意識された「因果応報」を説く仏教説話だったりします。これについては次回で詳述したいと思います。

 

 次回に続きます。