前回記事「坐禅談義(その10)」の続きです。

 

 さて、これまで長々と坐禅(以下・瞑想も含む)について語ってきましたが、一度、これまで書いたことをまとめたいと思います。内容については、あくまで私見ですが、これまでの学習と体験による「実感」に基づいたものです。

 書いてみて改めて思いましたが、時々、自分の体験を言語化(文章化)してみることは良いことなんでしょうね。言語化を拒絶する傾向にある坐禅について、これほど語ったことは一度ありませんでしたので、中々よい刺激になりました。

 ともあれ、これで坐禅談義については一区切りです。

 

1 坐禅は、仏道修行とメンタルケアという両方の側面がある

 坐禅は、仏道修行の核心である「三学」や「六波羅蜜」において重要な要素として挙げられている。他方、マインドフルネスなど、メンタルケアの有効な手段として社会で活用されている。ちなみに、坐禅に対して極めて硬派な考えを持つ曹洞宗は、坐禅の効用について、あまり語らない傾向にある。


2 仏道修行としての坐禅の効果

 坐禅者によって差はあるが、坐禅が習熟してくると、強烈な精神的変容を体験でき、日常の物の見方や思考習慣では到達しえない境地に至ることが可能となる。筆者としては、加持祈祷・念仏・真言等の仏教の修法の素晴らしさを理解しつつも、大乗仏教の神髄である「空」を観ずるためには、専ら坐禅という手段が必要であると考える。

 

3 メンタルケアとしての坐禅の効果

 坐禅によるメンタルケアの効果については、これまでの体験からその効果の大きさを実感している。ただし、坐禅を習慣化することは、ある程度の「頑張り」が必要であることから、重いうつ病などを抱える方の治療手段とするのは、いささか現実的ではないと考えている。将来到来するかもしれない精神的危機に備え、元気なうちに坐禅を習慣化しておくことが望ましい。

 

4 坐禅の実践方法

 道元禅師が坐禅を行うにあたり「静かで涼しい場所」を確保するよう述べているように、まずは、坐禅を行う場所(環境)の整備・確保を行う。そして、結跏趺坐・半跏趺坐・法界定印・正身端座…など、坐禅時の「座り方」を修得する。坐禅時には数息観を実践し、高いレベルの精神集中状態(定)を目指す。最初は近所のお寺で開催されている坐禅会に参加することがおススメする。

 

5 一言

 坐禅の最大の敵は、飲酒と過食である。長期に渡って習慣化していた筆者の坐禅を中断させてしまうのは、常に飲酒であった。飲酒が「建前」を精神的に強制される日本社会において「薬」であることは理解しつつも、坐禅の実践において飲酒は絶対悪であり、本気で坐禅を行いたいなら、禁酒あるいは期間中の断酒が必要であると考える。