仏教と飲酒(その2)の続きです(難しいテーマに手を出してしまったと…若干の後悔)。

 

 初期仏教及び上座部仏教において、肉食が「不殺生戒」に抵触しない範囲で認められていたにも関わらず、大乗仏教以降、全面禁止となったことについては、先日の記事「仏教と肉食」でお話したとおりです。では、飲酒についてはどうかというと、肉食と同様、大乗仏教以降、全面禁止されることになります。

 大乗仏教における戒律の基礎となる「梵網経」では、以下のように記されています。

一切の酒を売ってはいけない。酒は罪が生じる原因である。犯せば重罪である。

あらゆる人に酒を飲ませてはいけない。まして自ら飲むなど論外である。犯せば軽罪である。

(梵網経より該当箇所抜粋・要約)

 ここで、従来の「不飲酒戒」に加えて、「酒を売ってはいけない」という新たな戒「酤酒戒」(こしゅかい)が加わります。飲酒はダメですが、酒を売ることはもっとダメだということです。「梵網経」は僧侶よりも、むしろ、在家信者向けの経典とも言われますので、酒を供給する一般人を縛ることで仏教への酒類蔓延を防止したことがうかがえ、現代の違法薬物の取り締まりを想起させます。

 

 また、大乗仏教の二大思想(空・唯識)の祖である龍樹と世親も、それぞれの論書「大智度論」「阿毘達磨倶舎論」において、飲酒に対して厳しい見解を示しています。中でも、龍樹は、酒を飲むことについて35の災いを挙げており(釈迦が挙げた10の災いよりずっと多い)、その中には「調子にのって酒量が増えて酒代がかさむ」「隠すべき事をうっかり話してしまう」「裸体となっても恥ずかしいと思わない」などと「サラリーマンあるある」みたいな内容も含まれています。人類史上最高の哲学者の一人が「酒を飲むと勢いで裸になっちゃうから飲んじゃだめよ」などと下世話な話をしていたと想像するとちょっとほっこりします。

 

 ともあれ、ここまでで仏教における飲酒に関する戒律の基盤が固まり、この後は、仏教教団それぞれが「不飲酒戒」を運用していくことになります。スリランカやタイなどの上座部仏教国、そして中国やチベットなどの大乗仏教国が、実際にどれだけ「不飲酒戒」を堅持しているかについて詳しくはないのですが、しかしながら、少なくとも確実に言えるのは、日本仏教においてはあまり(ほとんど?まったく?)定着しなかったということです。

 

 日本仏教において「不飲酒戒」が形骸化した理由は、「平安時代に酒を取り扱う神道と習合したこと」や「末法思想の広まりによって修行よりも救済が重視されるようになったこと」などの影響が指摘されていますが。これらの詳細については、また場を改めて…。