【読書】読売新聞経済部「JRは生まれ変われるか 国鉄改革の功罪」 | いつもだいたいむかいかぜ

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 走ればだいたい向かい風、止まっていても、逆に行ってもだいたい向かい風。

 そんなオヤジ顔のツーリングだったり、ローカル線だったり、散歩だったり、車に乗ったり、ゲレンデ滑ったり、本を読んだり、映画見に行ったり、

 そんなオヤジの徒然日常備忘録。

 

 

 

 本書でも指摘されている通り、赤字ローカル路線の経営は鉄道会社にとって重荷である。

 俺個人の考えとしては、ローカル線の役割は終わっている。
 ゆえに、それは別の交通機関に置き換えられるべきだと考えている。

 鉄道黎明期で鉄道が求められた一つに、未舗装路対策があったのではないかと考える。
 ひと雨降ればぬかるみになり、車輪の乗り物は通行困難になる。
 そこで道路整備の意味合いで鉄路が求められたのではないかと。

 時代は下り、鉄道の大量輸送の利点が各戦争を通して認められると兵員輸送、物資輸送を目的に鉄路が延伸される。
 また、林業や炭鉱など道路ではなく鉄路が求められた時代があった。

 さらに時は下り、かつて物資輸送が目的だった鉄路は、産業構造の変化により旅客しか運ぶものが無くなったので、旅客輸送にしか使われなくなる。
 しかし、道路整備が進むにつれて旅客輸送はクルマが担うようになった。
 一度、旅客目的に使われるようになった鉄道は公共交通の名のもとに、目的を失っているのに廃止することができなくなった。

 人力から馬車、鉄道、クルマ、飛行機と時代によって交通モードの転換が行われているのに、鉄道だけはレールの上を走るという原理は150年前から変わっていない。
 輸送する旅客がいないのだから、赤字ローカル線は転換されて然るべきなのだ。
 鉄道でないといけないというのは、ただのノスタルジーに過ぎない。

 もし鉄道を残すのであれば、旅客輸送以外の新たな役割を与えなければいけない。
 その役割のひとつが観光なのだろうが、観光列車だけで赤字をペイできるようでなければ存続させる意味がない。

 以上、約15年にわたって鉄道事業に関わる俺の持論でした。
 鉄道存続論者はメンテナンスコストを考えてないのだよ。

 そして最後に、赤字ローカル線の問題を解決できない限り、昭和の国鉄改革に縛られたままのJRは生まれ変われないのだと思う。