苦しみに感謝できる感覚的理解苦しみがくると、般若心経とセットで、これは実態がない空であり、諸行無常、諸法無我なのだ、と自分に言い聞かせてるのをもう何年もやっているが、ふと、苦しみがこなければ、空の修行など好き好んでは出来ないだろうから、この世の無常を肌感覚で理解するには苦しみは必要なものだったのかもしれない、という想念が生まれた。きっとそう、いや絶対にそうであり、これは絶対感覚を身につけさせる為の神のご加護だったのかもしれない。