感謝と歓喜の想念に満たされる原理 | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。

感謝の想念が自然に発生する

メカニズムが段々とわかってくる。


これは、本来ならば、


人間として当たり前に出来なければ

ならない事を、目上の人

(親、先生、上司、先輩、など)

が出来ていない

のが観えてきてしまうと、


その事を指摘しても反発されて、

それに影響され、怠惰な想念が起きて

堕落しまい、自分の大事な人生の時間を

削っている事にさえ気づけなくなる。


そして、その当たり前の事が出来ていない

目上の人にまた更に言われて、


嫌悪感が増していき、無関心に陥る

という一連のよくない流れに過去は

陥っていた。


この一連の流れを明確に把握できる

ようになってから、相手を変える事は

出来ないので、この環境であっても、

自分にできる事を地道に積み重ねて

いく事を決めて、なんとかここまで

辿りついたが、


あと一歩の壁が中々破れない状態が

続いていた。


そして、この観念意識などは

とうに超えている人物との縁ができ、


その方の純粋な関心と愛を頂いて、

本来なら、誰に左右される訳ではなくて

人としてやらなければならない事に

本気で向き合えるキッカケを頂けている。


こうなってくると、

過去は嫌悪感と無関心に陥っていた

目上の人にも、優しくなれる感覚が

出てくるし、


自分も人に左右されて、正しい事を

突き通せなかったのは、本質が理解できて

いないからで、相手のせいにも出来ない

のも理解できてくる。


本質が観えてきたら、常に新しい発見が

あるから、怠惰な想念などが生まれる

はずがない。


水の流れが綺麗な川には、物理的に

ボンフラは発生出来ないのであり、


ボンフラが発生する場所は、

水の流れが滞ったヘドロから

物理的に発生するのである。


思考も全く同じで、


自分の我儘に気付かず、

辻褄の合わない事ばかりしてるのに、

言い訳していたり、人のせいにしたり、

しているのが、染み付いてしまうと、

毒素の想念がでているのにも

気付かず、


それをまた、人のせいにする、

言い訳し、


最終的には、人生に正解はない、という

正当化の無限ループ、で生きる事になる。


ブランド品でも、

本物と偽物と、精巧に作られた偽物、

があるが、きっと人間も同じである。


最後は、それも踏まえて、

自分がどうあるべきか?

どう生きるべきか?


それを決めるのは自分であって、

ここまで心というのが深くわかるように

なったのも、


正当化している人の刺激を

直撃して受けてきたからであり、

だから、最終的には、本質的な

愛のある人物に出会う因にもなったのだ。


そう考えると全てに感謝なんだな。