割り切るという本質 | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。


割り切って考える、というのは

合理的な考え方で嫌悪感があったが、


本質的な意味はそうではなかったのだ。


嫌悪感から無明に陥っていて

本質がわかってなかった。


道理をしっかり教学して、

自分は自ら実践し、その種蒔きを

していく際に、素直でない人にも

必ずぶち当たり、


それを素直に聞けない事さえ

相手のせいにせず、


寄り添う事と祈る所まで

やり切れば、人事を尽くした事になり、

後は天命を待つだけでよくなる。


相手に対してそこまでやり切れば、

そこから先は、

相手の問題なので、

割り切って考えてよいのだ。


縁があれば付き合うし、素直になれずに

縁が離れたら、そこまでだし、

本質的にしっかり付き合いながら、

人にさえ囚われない、人に左右されない、


というのはこういう感覚だったと

いうのをはじめて感覚として得た。