割り切って考える、というのは
合理的な考え方で嫌悪感があったが、
本質的な意味はそうではなかったのだ。
嫌悪感から無明に陥っていて
本質がわかってなかった。
道理をしっかり教学して、
自分は自ら実践し、その種蒔きを
していく際に、素直でない人にも
必ずぶち当たり、
それを素直に聞けない事さえ
相手のせいにせず、
寄り添う事と祈る所まで
やり切れば、人事を尽くした事になり、
後は天命を待つだけでよくなる。
相手に対してそこまでやり切れば、
そこから先は、
相手の問題なので、
割り切って考えてよいのだ。
縁があれば付き合うし、素直になれずに
縁が離れたら、そこまでだし、
本質的にしっかり付き合いながら、
人にさえ囚われない、人に左右されない、
というのはこういう感覚だったと
いうのをはじめて感覚として得た。