散善の入り口まで来た。 | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。

親鸞さんの教えの通り、

苦し過ぎたら念仏を唱えるだけでよい、

という教えを守り、


それが守れたら、心が散り乱れていても、

やる善を散善といい、それができるように

なるとおっしゃっていて、


ようやくその入り口まで来れてきた気がする。


その先には、定善という、

何にも囚われないで、


当たり前を当たり前にやる世界が

待っているが、そこまで行き着くにも

まだまだ全然修行が足らないが、


今日も残りの時間をどれだけ禅定状態に

入れるかの修行にする。


その修行の先に、

必ず誰かの体と心がよくなる事を

祈って、それに身を捧げる覚悟で

取り組もう。