人間の歴史は、神の模倣から始まった | 『唯唯普通に生きる』

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『感情』を超えていきたい人の戯言です。

脱人間論からの抜粋


脱人間論 


人間の悲痛より深き悲痛はない、

とニーチェは言っている。


だから人間の歴史な悲哀と悲痛の歴史

であり、全ての出来事は苦悩と悲痛に

よって生み出されたのだ。


今の行き過ぎたヒューマニズムが

引き起こす安楽安心保障などは、

かつては、最も低俗で人間を堕落させ、

それを軽蔑する事によって

人間の歴史は立ち上がってきた。


日和見や享楽主義などの魂の堕落を

戒めてきたのが、人類の歴史だった。


だから、愛と信と義を追求していく為に

神と呼ばれる宇宙エネルギーを模倣する事

によって、人間というものが何であるかを

規定しはじめた。


神がなければ、そもそも人間は自らの存在を

認識する力を持っていない。


その規定の最初に神つまり宇宙の本質が

置かれ、宇宙の本質とは、

破壊と創造、そして生成発展の無限循環で

これが、人間の魂に投射された。


人類の中に形として現れたのが、

性と暴力で、それが浄化発展して

愛や信や義に収斂されていった。


だから、本物の愛と性と暴力は

表裏一体なのだ。人間の最も原初的な

形態として我々人間を形成するものだった

という事を知らなければならない。


神の模倣として宇宙の秩序を

人間社会に落とし込もうとして

宇宙の成り立ちそのものに愛の本質が

ある事に気づいた。


だから結果として、愛が地上で最も

尊い魂となった。