苦しみの意味が観えてくる | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。

全ての現象は、因果応報であり

必然だから、身の回りに起こる現象は

全ては、自分の責任である、

というのは、理屈ではわかる。


だけど、ダルマの教えや

人間としての正しい感覚の哲学を

学んでいない人や学ぶ気もない人は、


道理が観えないから、

道理を外す事ばかりをしている。


そして、肝心要な時に、


自分都合で悪気なく人を利用するから、


長年培ってきた信用や信頼を

一瞬で壊し、壊している意味にも

気付かない。


これを苦しいと感じてしまうのだ。


だが、

苦しいと感じるのは、多分自我意識で

自分の立場を無意識に保身しようとする

心の働きや、


自分はそういう、

人を利用するような瑣末な事はしない、


というような分別心の想念が

無意識に発生しているんだな。


しかも

この無限ループの環境を招いている

のも、元々は自分もそうであったから

この場にいる訳で、


それを自らが招いていながら、

嫌悪感や無関心で捉えていたから


自分の使命が見えなくなって、

脳が散乱して懈怠が起きる。


そして長年

空虚な時間と

エネルギーを浪費してしまっていた。


この構造の観念の中に

はまりこんでいるから、


この無限ループを

嫌だ嫌だと言いながら、いつまでも、

この場を離れる事ができない。


ようは、自分が馴れ合いなんだ。


ここからは、この現実を

ありのままに直視しながらも、


嫌悪感も無関心にも陥らず、

己のすべき事を地道に愚直にするしか

道はない。