現象化されている事実を
思い込みを排して直視できるように
なると、ありのまま、に観えるから
智慧が生まれてくる原理はわかるし、
課題については、段々それが普通に
なりつつあるから、課題の改善は
進んでいく。
だが、損得勘定でなく徳を積むと
いう修行を毎日していると、自分の周りは
よくなるのも必然で、それは、
心から嬉しいのだが、
私の場合は、相手が観えない
因果を自然な方向性へ無理なく種撒きして
いるだけだから、(あと無意識ベースが
まだまだ卑屈なのか?)
直接的に感謝されるようなやり方でないし、
それでよい、と心から思っているのだが、
本当の意味で、それが突き通せる強さも
実力もないのをわかりながらやっていて、
周りが楽しそうに生き生きしてくると、
何故だか、反比例して胸が苦しくなってくる。
この現象は長年の内観により、
自分も色々な人に支えられているし、
色々なものが与えられているはずなのだが、
それが直視できていないのが原因だ。
何故自分ばかりが損な役回りなのか?と
無意識に感じてしまったり、
その想念を
滅する為に、好き嫌いを超えてその時に
必要な事をいつも自分がやらせてもらって
いるから自分が一番得している、
という思ってもいない想念で
思い込もうとしている。
これが紛れもなく、
精神の乱高下を作っている。
今も胸の動悸がしてきているが、
沢山のめぐみが与えられているものも
一つ一つ丁寧に直視できる修行をして、
それが腑に落ちれば、自然に感謝できる
人になれる。
自然に感謝できる人間になれたら、
自然に歓喜が湧き起こる。
感謝と歓喜が自然に湧き起こる人になり、
この世に浄土を広げていこう。