歓喜と渇愛の違いがわからない以前は、進みたい方向性の事をやっているのに、苦しいと感じてしまう錯誤の想念が生まれていたが、これが徐々に克服できてくると、知的好奇心の欲求や、同じ事をしているのに歓びと感じて、心が成長できているのを実感して、嬉しさが生まれてくる。この想念と渇愛は何が違うのだろうか?それともこの歓びは本当の歓喜でなくて渇愛なのか?本当の歓びや歓喜の経験が浅くて、渇愛との違いがわからない。食べた事のない味がわからないのと同じだな。