執着が無くなるというのはこういう感覚なのか?執着がなくなるとは、明らかに観る、諦めるという事なんだろうから、今の状態を肯定も否定もなく、半眼で観ていて、今この瞬間にやる事をやる、その意識を外さない、という感覚なのか?そうすると、意識で徳を積んでいるのが、末那識、阿頼耶識に蓄積されて、それが積み重さなると無意識の自動操縦でも、煩悩も執着も起こらずに、無明に陥らないのか?そうなると、快と不快という感情に振り回されなくなり、基本的に一日中禅定状態のミッドアルファの脳波で過ごせる、この事なんだろうか?