朝から憂鬱が取れず、
全てが無駄なんではないか?
という想念が抑えきれず、
念仏三昧で、
思考を止める瞑想をしている。
世界中の中で独りぼっちで
どこにも心休まる場所はない
現実があり、
それでも生きていく事に
意味を見いだせなくなってくる。
その思考に支配されて、
涙が止まらず、全てが嫌になる。
だが、万が一私がいなくなれば、
子供達や母親への影響も少なからず
ある事を考える早まった事は出来ない。
死にたい、とか、生きたい、
とかの意思は究極はエゴで自我意識で、
生きるか死ぬか?は、
本来は自分では決めれない
他力であるが、
それを受け入れていない
自分のエゴなのだというのが、
少し観えてきた。
原因が少しわかると、
不思議だが心は少し落ち着く。
やっぱり自分に合うのは、
法然さん、親鸞さんが、
おっしゃっている、
自力でなく他力の信心なのだろう。