散善から定善になれたら、次を考えてよいしとしよう | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

肯定も否定もなく、スッとやる、をモットーに今日の自分を超えていく為の独り言です。

浄土真宗を学ばせてもらい
一番救われたのは、

仏教や浄土真宗は、
動機論であって、

清らかに生きたい、
と願うだけでよい、

という事だ。

普通は、因果の道理なのだから、
思考と行動をセットでなければ、
矛盾が生まれて、幸せになれないが、

浄土真宗は、清らかな気持ちで、
念仏を唱えるだけでよい、

と、清らかでありたい、という気持ちさえ
あればいいですよ、という教えで、
自分は、その考え方に救われた。


原因と結果の因果の道理がわかれば、
思考と行動はセットでないと
正しい結果は現象化されないが、

幸せに生きれない人は、

その当たり前ができていないから、
幸せでない訳で、それを言われてもできないから
困っているのも真理である。

その事を、法然さん、親鸞さんは、
見抜いてくれて、

心が整ってやる善を、定善、

心が散り乱れてやる善を、散善、

散善すらできない程心身が乱れていたら、
念仏を唱えるだけでよい、

と、三段階を作って頂いているから、
思考と行動がセットでできない人も
無理なく出来る様になってくる。

自分も、まだまだ散善の状態だが、
それでも、毎日善を積み重ねているから、
徳がついてきているのもわかるし、

現象が変わってきている
のも実感している。

次は、無理をしないでも、
基本が散善から定善になれたら、
次の道を考えてもよいとしよう。