自我意識の正体は、
自分自身の存在を、深く愛し愛され
本質的な喜びの対象であるという事が、
心の奥深くに刻み込まれているか?
いないか?
の違いなのだ、と思い至った。
幼少期に、無条件で深く愛されたか?
表面上の優しさは、自由と放置を間違え、
独りよがりな感覚を自由と履き違えさせるし、
表現上の厳しさは、自我意識を満たす為の
エゴに過ぎない。
私達大人が、この意味を充分理解して、
日々実践していけば、子供達は、
本物の自由と責任の意味が段々わかりながら
やがて、大人になる。
戦後は、先生などの道理が観える
人格者が公職追放で社会から追放されて
しまったから、自由と責任の本当の意味が
わかる大人がいなくなってしまった。
その状態で、約80年も経過したら、
カオスな社会になるのも、必然だ。
自分も幼少期にそういう適切な情報と
教育を受けれていないが、
もはや、誰のせいでもないので、
先人が残してくれた真理の方向性に、
自己暗示をかけて、少しずつ
阿頼耶識を書き換えていくしかない。
書いていて気付いたが、
無意識の領域では、
自分自身に対して、
こうあるべきという観念や
成果を出す事への損得勘定などの
雑念がこびりついている。
だから、習慣化が大事なんだな。
決まった時間に
雑念をクリーニングする瞑想をする、
掃除をする、トレーニングをする、
仕事をする、
当たり前を当たり前にする、
ただそれだけの事が、いかに生きる
基礎となるか、基礎を身につける事が
いかに凄い事か、が骨身に染みている。
前よりだいぶ書き換わってきているので、
肯定も否定もなく、これを継続していこう。