『悪気のなさ』と『信じる』イップス  | 『唯唯普通に生きる』

『唯唯普通に生きる』

『感情』を超えていきたい人の戯言です。


昨日ある会に参加させて頂き
皆の表情もよく好感を得ました。

会が終わった後、ある方の発言で
はっとする事がありました。

それは、

自分という、自ずが何か?
の自ずと湧き出るもの、
自然というものを、誤って認識し、
それを信じこんでいる人は、

事実と真実の区別がつかず、
それが混同したまま、
一生過ごす、

その領域には誰も入れないし、
入るべきでない、

という事を感じました。

一種の宗教観の価値観に近いのかも
しれません。

心から分かち合う、

というものは、無理に合わせに
いってもできないし、

かと言って、合わせる努力も
しないと、一生合わない、

これは、本当に難しい、
無理ではないか、と今更ながら思います。

ですが、

難しいからこそ、出来た時の
化学変化は凄まじく
価値があるのでしょう。

自分自身が
半信半疑だから、この因果の
影響もあるのだろうけど、

ここまでわかってくると、

昔のように
闇雲には信じこめないし、

もはや、現時点では
『信じる』
という行為ができなく
なっている自分がいます。

これは、
どうしたらいいのでしょうか?

これは焦らず、
そういう時期と捉えて、
そのうちに戻るから、

今は自らのやるべき事に没頭する、

という考え方を継続するで
いいか?

それか、諦めずに
対話をしていくべきか?

『悪気がない』

と、いう事が
捉え方の判断を難しくするのを
より実感した一日でした。