織田信長 | 黒田官兵衛研究所

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黒田官兵衛がとても好きな男、星野勝です。『軍師黒田官兵衛』が2014年の大河ドラマになったのはとても嬉しいです。

黒田官兵衛のことをどんどん書いていきたいと思います。

●織田信長

感謝してます。星野勝です。わざわざ説明するまでもない大人気戦国武将、第六天魔王こと織田信長です。


織田信長の生涯

尾張の織田信秀の子である信長。幼名は吉法師。幼い頃から常識を顧みない行動を繰り返していました。そのため、周りの人からは「尾張の大うつけ」とよばれるようになります。

そんな大うつけの信長も、1560年に桶狭間の戦いで今川義元を討ち破ります。桶狭間の戦いは織田軍約4000に対し、今川軍は40000近くだそうなので、およそ10倍の兵力の今川軍を破ります。

桶狭間の戦いを皮切りに周囲の大名らを倒していきます。その中で室町幕府を滅ぼしたり、延暦寺の焼き討ちなど、下剋上が当たり前の戦国時代でも常識はずれ、慣例を壊す、ということをどんどん行っていきます。

そんな織田信長。日本の3分の1近くを支配下に治め、これからさらに領地を増やしていくことが予想されていました。ですが、1582年。家臣の明智光秀に裏切られてしまい、本能寺にて自害します。

信長は卑劣、残酷、冷酷なイメージがありますが、実は繊細な人です。家臣をとても気遣い、それがたたり家臣に甘く見られて謀反を起こされる。起こされてはそれを潰す。ということを何度も経験している人です。

日本史上最初の大量虐殺といわれている延暦寺焼き討ちも協議をかさねているのですが、話がうまく折り合わず最終手段としての行動です。

桶狭間の戦いのようなリスクの高い戦は二度としていませんし、信長自身も「桶狭間の戦いで勝ったのはまぐれ」と言っているほどです。

織田信長という人は異常に繊細な人だと思います。