「 縁 」は仏教の話によく出てきます。
「 縁起説は仏教の根本の思想 」とかも耳にします。
説一切有部は「 因縁果 」です。
「 釈尊は縁起を悟った 」とする研究者がいますので、
多くの方は仏教特有のように考えます。
「 因縁果 」や「 縁起 」は仏教固有ではなく一般の話。
大自然に、歴史に、
「 事象には原因があり、縁が絡み、結果が現われる 」
「 種 」の因と「 水 」の縁と「 花 」の果。
禅修行をされている方には少し丁寧に参究して頂きます。
「 諸行無常 」
「 諸法無我 」
「 涅槃寂静 」
三法印です。
「 種 」の因と「 水 」の縁と「 花 」の果。
ではなく、
「 種 」も「 種とする因 」も実存しない。
「 水 」も「 水とする縁 」も実存しない。
「 花 」も「 花とする果 」も実存しない。
「 因・縁・果 」は実存しない。
慧能
「 本来無一物 」
これで終わりなのですが、、、
どうしても「 二元相対 」で大自然の、歴史の事象を眺めます。
「 事象には原因があり、縁が絡み、結果として現われる 」
「 種 」の因と「 水 」の縁と「 花 」の果。
は、理解し易いですね。
教育に「 戒め 」としては有効でしょう。
「 悪因悪果 」
「 悪い事をすれば、それが原因で悪い結果が生まれるよ 」
理解し易いですので、、 一人歩きを始めます。
1)事象は「 因縁果 」である。
2)「 因縁果 」は大自然の姿があり摂理そのものである。
3)「 因 」と「 果 」を結びつけるのが「 縁 」である。
4)大自然や様々な事象には「 縁 」が内在する。
5)「 縁 」により大自然や様々な事象が成立する。
6)大自然や様々な事象は「 縁の様子・縁の姿 」である。
7)人も「 縁の姿 」であり「 縁の塊 」である。
「 縁 」の一人歩きです。
皆様は既にお解りの通り単なる「 実存論 」です。
「 似非仏法 」になります。
しかし、禅に親しくない方には理解し易い話ですね。
繰り返しますが、
「 諸行無常 」
「 諸法無我 」
「 涅槃寂静 」
「 種 」の因と「 水 」の縁と「 花 」の果。
ではなく、
「 種 」も「 種とする因 」も実存しない。
「 水 」も「 水とする縁 」も実存しない。
「 花 」も「 花とする果 」も実存しない。
「 因・縁・果 」は実存しない。
「 因果一如 」
大自然や事象に繋ぎ目はありません。
当然「 縁 」の挟む余地はありません。
「 つかみようのない縁 」は如何なる物の「 縁 」ではない。
「 如何なる物ではない縁 」は存在しない。
「 無常で空なる縁 」は如何なる物の「 縁 」ではない。
「 如何なる物ではない縁 」を知ることはない。
「 掴めない象徴の自己 」に「 如何なる縁 」も生ずることは
ない。
「 つかみようのない縁 」や「 無常で空なる縁 」は決して
知ることはない。
「 諸行無常 」
「 諸法無我 」
「 涅槃寂静 」
すなわち「 空 」
「 空 」に「 因縁果 」は「 知る・認識・語る・説く 」も
既に滅している。
「 空 」に「 因縁果 」を見る者は、自己を眺め、
「 苦しい人生なんか意味はない 」と嘆く。
知ることのない「 縁 」に、
どうして「 流転の縁、縁の働き・縁の様子・縁の塊 」なぞを
認識出来ようか。
「 人は縁の姿・縁の塊 」は不合理。
如何なる「 因・縁・果 」は実存しない。
当然「 前世・現世・来世 」は実存しない。
「 諸行無常 」
「 諸法無我 」
「 涅槃寂静 」
を実証して頂きますと朝飯前ですよ。
原田雪渓老師 「 禅に生きる 」 URL:
https://www.youtube.com/watch?v=AVLOq4WrcOo
「 禅友に贈る書 」 Amazon:URL
「 宝鏡三昧普説 」 Amazon:URL