釈尊は菩提樹下に何を悟ったのか?
釈尊の「 何を悟ったか 」の具体的言及はありません。
様々な推論があり「 釈尊は縁起を悟った 」が有名な
ようです。
「 縁起説は仏教の根本思想 」とか耳にすることに
なります。
説一切有部の「 因縁果 」は有名です。
禅指導者でも「 因縁果 」を叫ぶ方がいます。
曹洞宗の研究者でも「 釈尊は縁起を悟った 」と公言して
いる方もいます。
疑問に思わないのでしょう。
森羅万象には必ず原因かあり、そこに縁が絡み、
結果が現われる。
「 種 」の因と「 水 」の縁と「 花 」の果はある。
よく耳にします。
「 無限・流転の縁 」とかを持ち出すまでになります。
「 釈尊は縁起を悟った 」は様々な宗派や研究者によって
広められていますので、多くの方は仏教特有の真理の
ように考えます。
「 因縁果 」や「 縁起 」は他宗教・哲理・教えに出て
来ます。
「 教訓・戒め 」とかです。
「 良縁良果 」「 悪因悪果 」が有名です。
「 因縁果 」は仏教特有の真理ではなく一般の話。
禅修行に
「 釈尊は縁起を悟った 」
なぞは、あろう筈がないのです。
釈尊 「 菩提樹下に星を知った 」
釈尊、いつも見ていた星を初めてその星を知った。
星とひとつになった。
一切を知った。
「 一切が一切のままで解決していた 」
一瞬たりとも留まることのない森羅万象はそのままで
解決していた。
「 我と大地有情と同時成道す 」
ただ、これだけ。
城を後にする前の釈尊そのままで解決していたのです。
生老病死に苦悩しその解決の為に城を後にした
絶望の釈尊のままで、既に解決していたのです。
ですから「 我と大地有情と同時成道す 」の宣言です。
釈尊は新しく何かを得たのでもなく、釈尊の何かを
滅したのでもありません。
城を後にする前の釈尊と「 我と大地有情と同時成道す 」と
看破した釈尊と何ら変わることはありません。
なぜなら「 我と大地有情と同時成道す 」だからです。
「 法 」を求めて支那に渡った道元の「 一毫無佛法 」
だからです。
何度も申し上げていますが、
皆様の様子に滅却する何かも、新たに獲得する何かも
ありません。
皆様の様子のままで解決していた。
一瞬たりとも留まることのない皆様そのままで既に
解決していた。
ですから、
「 安心を得る事 」でも
「 禅定に落ち着く事 」でも
「 無心に一心にただやる事 」でも
「 過去を落とす事 」でも
「 今に徹する事 」でも
ありません。
眺め、理屈を持ち出し、分別するだけ余分。
道から離れるだけ。
苦しい時は苦しいまま。
楽が入り込む余地はありません。
迷っていると時は迷っているまま。
悟りが入り込む余地はありません。
「 まま 」
皆様は既に一切を知っているのです。
森羅万象を知っているのです。
ただ、腑に落ちない。
ですから、暫くの禅修行をお願いして、
腑に落ちない自己に落ち着いて頂ければ良いのです。
落ち着けない自己に落ち着いて頂ければ良いのです。
「 まま 」
原田雪渓老師は禅修行の根本を
「 苦になり切る、迷いになり切る 」
「 修行というものは要らない 」
「 坐ってはいけません 」
「 何もしなくてもよい 」
と、丁寧に示しています。
皆様が皆様に落ち着けましたら解決です。
ですから、
「 いつでも、どこでも、誰でも可能 」
「 諦めなければ、ゴールの手前 」
見届けましょう。
原田雪渓老師 「 禅に生きる 」 URL:
https://www.youtube.com/watch?v=AVLOq4WrcOo
「 禅友に贈る書 」 Amazon:URL
「 宝鏡三昧普説 」 Amazon:URL