平成7年5月21日に小浜市にある曹洞宗専門僧堂師家
原田雪渓老師に初めてお目にかかりました。
運命の出会いなのでしょうか。
在家参禅者でしたが、原田雪渓老師から
「 発心寺を継いで欲しい 」
とのお話を頂きました。
当時は平成不況の真っ只中、とても出家を考える余裕は
ありませんでした。
「 町野さん、100歳まで生きますから、、 」
と、出家をお待ち頂くことに、、
その後、雪渓老師は体を悪くされ、2020年にお亡くなり
になりました。
法に不親切でした。
師との約束を果たせなかった弟子になります。
お亡くなる少し前、発心寺にお邪魔しました。
横になっている老師にお目にかかりました。
奥様から「 耳は聴こえています 」と言われましたので、
「 老師ご安心を、、老師から受け継いだものは何一つ
ありません 」
「 何一つ、老師から受け継いだものはありません 」
「 受け継いだものは何一つありません、を説いて行きます 」
と申し上げました。
最後のご挨拶になりました。
普通ならご指導頂いたお礼を申し上げるところですが、
「 老師ご安心を、、 老師から受け継いだものは何一つ
ありません 」
「 何一つ、老師から受け継いだものはありません 」
「 受け継いだものは何一つありません、を説いて行きます 」
の言葉になりました。 不思議です。
原田雪渓老師にしか申し上げることが出来ない言葉です。
ただ、
釈尊「 我と大地有情と同時成道す 」
しかし、容易には理解頂けない挨拶なのかも知れません。
平成11年12月8日にNHKラジオ深夜便放送されました
原田雪渓老師の「 禅に生きる 」はNHKのラジオ放送です。
一般人向けなのでしょう。
しかし、難解です。
老師からは
「 町野さんならどの様に話しますか 」
と、聞かれていました。
老師は若い方への説法を考えていた様でした。
それでも解り難い。
厳しい修行の雲水にも、
原田雪渓老師の
「 苦になり切る、迷いになり切る 」
「 修行というものは要らない 」
「 坐ってはいけません 」
「 何もしなくてもよい 」
は
「 何かの間違いではないか、、 」
と考え込んでしまいそうな言葉です。
インターネットで説法されている多くの禅指導者にも
腑に落ちる方はいないのでしょう。
発心禅堂は
「 受け継いだものは何一つありません 」
すなわち、
釈尊
「 我と大地有情と同時成道す 」
龍樹
「 自身からも、
他からも、
その両方からも、
無因からも
どこにおいても、
いつにあっても、
もろもろは生じない 」
慧可
「 不可得 」
慧能
「 本来無一物 」
南嶽
「 説似一物即不中 」
道元
「 眼横鼻直 一毫無佛法 」
原田雪渓老師
「 苦になり切る、迷いになり切る 」
「 修行というものは要らない 」
「 坐ってはいけません 」
「 何もしなくてもよい 」
「 仏祖正伝の大道 」をお話して行きます。
原田雪渓老師 「 禅に生きる 」 URL:
https://www.youtube.com/watch?v=AVLOq4WrcOo
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