「 苦になり切る、迷いになり切る 」
とは?
「 苦になり切る、迷いになり切る 」
と何が起きるのか?
更に、
「 修行というものは要らない 」
「 何もしなくてもよい 」
「 サッパリ解らない どうすればよいのだ 」
二元相対世界の人には「 真っ暗闇 」です。
「 サッパリ解らない 狐につままれたような、 」
二元相対世界で「 成長、学び、考え 」の人には当然です。
人は「 二元相対世界 」の、その自覚すらない日々の様子だからです。
皆様も知る著名な哲学者・思想家・科学者も同じですね。
「 二元相対世界 」に「 解 」を求めます。
闇を彷徨い歩くことになるのですが、、
釈尊は「 無常 」
龍樹は「 空 」
と示しています。
如何なる「 実在論 」も排し、森羅万象に「 実体は存在しない 」。
それを原田雪渓老師は、
「 修行というものは要らない 」
「 何もしなくてもよい 」
とお話なのです。
禅修行の「 根本 」です。
禅修行者はこの「 サッパリ解らない 狐につままれたような、、 」
「 修行というものは要らない 」
「 何もしなくてもよい 」
に参じることになるのです。
「 真っ暗闇の一人旅 」
皆様もご承知の通り、二元相対世界の言説は「 実在論 」です。
当然、禅修行に二元相対世界の自他を認めた言説も「 実在論 」。
厳しいですが、
「 似非仏教 」
従って、
「 二元相対世界に彷徨っている禅修行に決して決着はない 」
それを
龍樹
見る働きを、離れても、離れなくとも「 見る自己 」は、存在しない。
見る自己は、存在しないから「 見られるもの」も「 見る働き 」も
ともに存在しない。
原田雪渓老師
「 修行というものは要らない 」
「 何もしなくてもよい 」
更に、具体的に原田雪渓老師は
「 坐忘して下さい 」
「 坐ってはいけません 」
「 自分が坐禅をしておるという意識があってはいけません 」
と、丁寧に示しています。
しかしながら、禅修行者は、
「 サッパリ解らない 狐につままれたような、、」
であるならば、禅修行者は
「 聞いて、考えて、疑問の山で、」
「 また聞いて、考えて、考えて、更に疑問の山で、」
「 徹底、脳みそが汗をかくほどに、参究するのです 」
「 なるほど、なるほど、それならば 」と解って頂くことは非常に大切。
なるほど、なるほど、、
「 苦になり切る、迷いになり切る 」
龍樹
見る働きを、離れても、離れなくとも「 見る自己 」は、存在しない。
見る自己は、存在しないから「 見られるもの 」も「 見る働き 」も
ともに存在しない。
原田雪渓老師
「 修行というものは要らない 」
「 何もしなくてもよい 」
それならば、、、
ここからが「 本格的な禅修行 」。
「 真っ暗闇の一人旅 」にようこそ。
見届けましょう。
待っています。
原田雪渓老師 「 禅に生きる 」 URL:
https://www.youtube.com/watch?v=AVLOq4WrcOo
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