>仏道修行は「 慈悲の実践 」すら、無くならないといけないのです。

 

このことが腑に落ちましたら、解脱したと言います。
その為に修行者は10年20年の歳月を費やすことになります。
祖師方は当然の事として実証してきました。
 
しかし、今ではこのようなことを申し上げますと、曹洞宗では「 原理主義者 」
と形容されるのかもしれない。
さらには「 善・悪 」を持ち出して、彼らを「 悪 」と知ることも大切と、
表現するのかもしれない。
どうしても、二元相対世界から離れられないようです。
   ( 修行とは二元相対世界すら無かったと知ることでもあります )
 
言い方を変えれば「 論理の世界 」に漂っているだけです。
 
仏道修行は「 諸法無我 」を実証することです。
くどいですが、仏道に「 善・悪 」を認めることは出来ないのです。
ですから、二元相対世界にいては「 仏道 」に擦りもしないのです。
 
結果、曹洞宗僧侶は宗学には詳しいかもしれないが、仏道から遠して
遠しなのです。
皮肉なことです。
そしてそこには「未熟者」と表現する者もいないのです。

 

また、今年も駒澤大学仏教学部へ、お寺の跡を継ぐ為に、多く若者が
入学したことでしょう。
せめて、彼らが曹洞宗に「 間違った考え方 」あることを知り、
疑問を感じる若者でいて頂きたい。
深刻な人生問題にならない内に、本格的な禅修行の旅に出て頂きたい。