どうも、李厳です。
今回はタイトルの如く、10年前に起きた『有栖川宮詐欺事件』について触れてみます。
2003年4月6日、東京青山で「有栖川宮殿下」を名乗る男が、ニセの結婚披露宴を開催し、約400人の招待客から祝儀を騙し取った…という事件がありました。
俗に【有栖川宮詐欺事件】と呼ばれる事件です。
ところが実際の有栖川宮家は、最後の当主威仁(たけひと)親王が大正2年(1913)に没した事により廃絶になった家で、当然現代には『存在しないはずの宮家』だったのです。
…しかしこの男、自分を支持してくれている右翼団体には、
「自分は高松宮宣仁親王(昭和天皇の弟)のご落胤であり、非嫡出児な為、高松宮は継げない替わりに、廃絶した有栖川宮家を再興した」
と触れ回った事から、一気に信用された…のだそうです。
この話には、信じさせるに足る前提があります。
そもそも有栖川宮家は、江戸時代初期に後陽成天皇の子である好仁親王が『高松宮家』を立ち上げ、3代目の幸仁親王が『有栖川宮』と宮号を変えた事に始まった宮家でした。
さらに、有栖川宮家最後の当主威仁親王が没した翌日、昭和天皇の弟の宣仁親王が、廃絶した『有栖川宮家』の跡取り的な立場で『高松宮家』を興した為、高松宮家と有栖川宮家の関係を考えれば、
「高松宮家の非嫡出児が緊急措置で有栖川宮家を再興しても、不自然はないかも?」
…という、ちょっと皇室の歴史に詳しい人でも、信用してしまえるような巧妙なウソがあったのです。
また、名乗った名前も巧妙でした。
「有栖川宮識仁」
この事件がニュースになった当時、私はこの名前を見て、思わず唸ってしまいました。
…一見、あり得そうな名前だからです。
ちょっと有栖川宮家の、歴代の名前を挙げてみましょうか。
初代 好仁(高松宮)
2代 良仁(後の後西天皇)
3代 幸仁(有栖川宮号に変更)
4代 正仁
5代 職仁
6代 織仁
7代 韶仁
8代 幟仁
9代 熾仁
10代 威仁
…いかがでしょう?
5・6・8・9代の一字を見てみると、『戠(音戈)』という字が、全て偏違いで入ってますよね?
仮に有栖川宮家が後世まで存続していたとしたら、詐欺師の男が名乗っていた『識仁』は、いつかは出てきた諱に違いない……と、思わせられる名前なんですよ。
さらにさらに…
『識仁』を【さとひと】と読ませるのも、実にイヤらしい。
皇室や宮家では現在でも、嫡男に対してちょっと読みにくい諱をつける風習があります。
厳密には、一番に想像できる『読み』を、意識的に外しているんです。
理由は、僻邪名や実名敬避俗の名残り…と考えてもらえれば判りやすいです。
皇室では、今日もその傾向を受け継いでいるんですね。
本当によく練られた詐欺でした。
…が、
『画龍点睛を欠く』とはこの事でしょう。
彼は、『有栖川宮識仁』を名乗った事で、あえなくニセ者という事がバレてしまったのです。
どういう事か?
実は、江戸初期の112代霊元天皇の諱が『識仁(さとひと)』であり、宮家を含めた皇室では、過去の天皇の諱は絶対に使用しないので、『識仁』を使った段階で、判る人にはバレてしまったんですね。
※この文章は、コメントによる指摘を受け、間違いが判明したので削除しております。
こうして詐欺師の男は、主犯の女共々実刑を受けた訳ですが、詰めが甘かったとはいえ、実に考え込まれた詐欺だった事が判ります。
詐欺の絵を描いたのが誰かは判りませんが、ある程度皇室の知識があった人間である事は窺えます。
当時のニュースからでも、ジャージのようなスーツを着ていたりと、怪しい所は散見されましたが、少なくとも周辺の右翼団体は見事に騙されていたようですね。
不敬な犯罪ではありますが、不謹慎ながら少し感心してしまった事件でした。
追記
そういえば、皇室及び宮家に嫁がれる方は皆、『○子』という子締めの名前が条件に入っていた気がします。
ちょっとソースが思い出せないので参考までですが。
この有栖川宮詐欺事件の犯人の女性は、『晴美妃殿下』を名乗っていました。
しかし、仮に皇室及び宮家において、『○子』以外の名前の女性が嫁いだとすると、平安時代中期の62代村上天皇以来という快挙(?)になってしまう訳で…
そういった意味でも、皇室の事情に詳しい人には、陳腐な詐欺に見えた事でしょう。