ゴールへのパスなのだ ジーコをおもいだせ

 

つねづねおもうことである。

なぜ、
シュートとパスをわけたのか。

ことばと動作、
それぞれに。

なぜちがう動きかのごとく扱ったのか。
それが解せない。

シュートとは、
つまりはゴールへのパスでしかない。
それをシュートといわしめるからまちがえる。
まちがったまま放置されている。

シュートというとくべつな動作なのではなく、
それは、
パスでしかない。

シュート練習にいそしむのではなく、
パスする方向をゴールに向けるだけのことでしかない。
そこにはゴールキーパーがいる。

ゴ-ルへのパス。

そうおしえてくれたのは、
アルトゥール アントゥネス コインブラ

データやシステム重視という、
奇妙な悪習におちいりがちなニッポンのサッカーに、
競技自体のシンプルさをかたるかのように、
そうじゃないのだよ、
と諭すように、
平明なことばで説いていた、
ジーコをおもいおこしてほしい。