監督ができること。
練習。
作戦を考える→選手をえらぶ→交代選手をきめる
選手をえらぶ→作戦をかんがえる→交代選手をきめる

オシムさんのサッカーとはなんだろうか。
こたえはでまい。
なぜならば、
質問がまちがっているからだ。

選手ありき。
どんな選手がいるかできまる。
監督ならば、
選手のもっている力を最大限だしてもらう。
それが最善である。
勝ちつづけることができれば、
なにもしないこと、
それが監督のできることになる。
が、
そうはいかない。

イヴィツァ・オシムさんがJEF市原にはいったころ、
JEF市原には崔竜洙(チェ・ヨンス)さんがいた。
大エースである。
よくぞニッポンにきてくれた。
それも、
JEFに。

ナビスコカップを優勝したとき、
イリヤン・ストヤノフさんがいた。

結果は条件でかわる。

いま、
サッカーをみていると、
オーヴァーラップをみかけなくなった。
中盤の底をになう選手が攻撃に参加しなくなった。
わたくしはその理由がわからない。

 

イヴィツァ・オシムさんが監督のころ、
ポジションは試合がはじまるときの立ち位置でしかなく、
攻撃参加をすべてのポジションの選手に奨励した。
にもかかわらず、
ニッポンの選手諸君が、
それにきづくのがおそかっただけ。
そうかんがえている。

 

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