同級生女子のYちゃん、お見事です❕
 
Yちゃんは3年前にほそみち農園の空いている畑を借りて、私の嫁さんからニンニクの植え方を教わり、1000個のニンニクと600個のチューリップを育てました。
3年前、当時会社員だったYちゃんがほそみち農園に遊びに来た時に農業に目覚め、空いていた畑をYちゃんに貸したのはたったの3年前ですよ。
 
Yちゃんも私と同様に農業の経験はゼロでした。
あの時のYちゃんの身分はまだ会社員だったので、有給休暇を全て使って私の農園まで車で1時間かけて通ってましたよ。
 
そのYちゃんは今や一端の農業者として活躍しているのです。
 
ほそみち農園を卒業したYちゃんはほそみち農園とよく似た地形の鈴鹿山脈の麓にある広い農地を購入し、その近くの一軒家を購入し、滋賀の都会の街から引っ越しました。
その農地の広さは偶然にもほそみち農園と同じでした。
 
Yちゃん、思い切りましたよ❕
 
嫁さんがやっていたフォックスファイスや弥平唐辛子の栽培のノウハウを完全にマスターするどころか、嫁さんよりも遥かに上手になっており、ニンニクに関しては完全に我々は追い抜かされてましたよ。
保険局で許可を取り、プレハブの作業場で黒ニンニクを製造し、今や黒ニンニクの販売店ですよ。
結構人気があり、あちこちの店に出荷しているみたいです。
 
【プレハブの黒ニンニク作業場】

 

 
以下の写真は中国旅行から帰った後にハーレーで鈴鹿峠を走る際にお土産を渡すためにYちゃんの自宅に寄った時に撮りました。
丁度その頃Yちゃんはは娘さん家族と買い物に出掛けていたので、玄関にお土産を置いて鈴鹿峠に向かいました。
Yちゃんはまだその村に引っ越してから1年ぐらいしか経ってないのに、既に周りの人達が黒ニンニクを買いにきてくれているのです。
 
さすが、Yちゃん、新参者なのに既に村に溶け込んでいるのです。
 

 

ほそみち農園を卒業したYちゃんは先ず最初に実家近くの農地を借りて、ほそみち農園で学んだニンニク栽培を始めました。
そこでニンニク栽培の自信がついたのでしょうね、広い農地とその農地近くの一軒家を購入しました。
 
私と同級生ですからその時は63歳ですよ。
普通の女性なら還暦を超えればスローライフを楽しみ始める時期ですが、Yちゃんは人生の勝負に出たのです。
 
以下の写真は実家近くに借りていた農地です。
ほそみち農園を卒業した後の1年間はその農地で頑張っていたのですが、広い農地を購入したので、借りていた農地を整備し、草が生えないようにマルチを敷き、綺麗にしてから地主さんに返すのはさすがに仕事の出来る女、Yちゃんの仕事ですね。
 
飛ぶ鳥跡を濁さずを実践する女性です。
 
借りていた農地にはニンニクだけでなく、バターナッツかぼちゃも栽培してました。
仕事の出来る女、Yちゃんは常に新しいものに挑戦しているのです。
 

 

 
そして息子さんや息子さんの会社の人に手伝ってもらい、返却する農地を綺麗に整備しました。
 

 

Yちゃんに農地を貸していた地主さんもこんな風に農地を整備し、雑草が生えないようにマルチを敷いてから返してもらうと嬉しいと思います。

因みに、ほそみち農園で貸していた畑は放ったらかしでした。笑

でもYちゃんはその頃はマイヤーレモン栽培の手伝いもしてくれていたので、貸していた畑の後片付けなんて何でもないものでした。

同級生なので甘えてくれていいのです。笑

 

 
仕事の出来る女は1年でステップアップするのです。
 

私は最初Yちゃんが購入した農地を見て、本当に大丈夫か❓と心配になりました。

農地面積からするとほぼほそみち農園と同じですからね。

 

Yちゃんには2人の息子さんと娘さんがいますが、熟年離婚をしたYちゃんは1人暮らしですから、基本的に農園で働くのはYちゃん1人になります。

子供達が農地を手伝いに来てくれたとしても、彼らには仕事もそれぞれの家庭もありますから、週末の内の1日ぐらいが精一杯だと思いました。

 

Yちゃんが1人でこんな広い農地をやるんやぞ、どうするねん❓

 

 

 
そんなお洒落な服を着て、お洒落な靴を履いて、野良仕事がほんまにやれるんかい❓
 

 

 
Yちゃんが私のレモン畑で植えたばかりのレモンの苗木何百本に寒冷紗(防寒布)を被せてくれた時の仕事ぶりを見て、嫁さんと私はYちゃんなら立派に出来ることは判っていました。
あの作業をやっていた時の体力、仕事の丁寧さを見ていると根性のある女性であることが垣間見えましたよ。
さすがに学生時代はハンドボールの国体選手だけあって、何事にも全力で挑む人なんです。
 
やはり仕事の出来る女、Yちゃんでしたね、根性だけでは成し得ない仕事はちゃんと適切な人を雇ってました。
Yちゃんは小さな会社の社長みたいなもので、トラクターを扱える人、草刈りをしてくれる人、苗を植えてくれる人、いろんなスタッフを必要な時に仕事をしてもらえるようにちゃんと話をつけているのです。
 

 

 

勿論、Yちゃん自身も汗を流して畑で働いています。

肥料を購入し、畑に撒き、自宅の畑では苗を育てています。

 

 

自宅の畑で育てた苗をバンで農園に次々に運び込むのです。

車で3分ぐらいですが。笑

そしてパートさんに指導して仕事をしてもらうだけでなく自分自身でも作業をやるのです。

それまでサラリーマンだった還暦を超えた女性がなかなかそこまで出来ませんよ。

 

Yちゃんは腹をくくってやっているのです❕

 

 

弥平唐辛子だけでも1700本ですよ。

何年か前のNHKの番組で弥平唐辛子を専門に販売している女性店主が毎年1000本を栽培していると話していたので、ひょっとしたらYちゃんは滋賀で弥平唐辛子栽培の最大手かもしれませんよ。笑

 

 

私の農園でニンニク栽培の練習をしていた時は1000個でしたが、現在は何万個育てているのだろう❓ Yちゃんのことだからこの暑い中でも毎日滅茶苦茶働いているのだろうと嫁さんも私も心配しています。

同級生のYちゃんは今では嫁さんの方が親しくなり、2日か3日に一度はLINEでお互いの報告をしているみたいです。

野菜や花のこととなると私は彼女達に付いて行けません。笑

 

Yちゃん、今では大きな農園を切り盛りしている主です。

 

それにYちゃんは営業が出来るので、ちゃんとビジネスになっているのです。

次々に出荷先を増やしているのです。

 

Yちゃんが出荷している大手チェーン店の仕入れ担当者を紹介してもらったので、ほそみち農園もその大手チェーン店に作物を出荷できるようになりました。

恐らくこの秋の収穫時には関西一円にあるチェーン店に我が農園のマイヤーレモンが並ぶと思います。

 

今までは農協さんの言われるままの金額で出荷していましたが、この秋からは選択肢が増えましたよ。

私の弟子のYちゃん、大きな恩返しをしてくれましたよ

 

甥で弟子の25歳のK君は農作業をやるよりも営業の方が得意です。

K君は自分の農園にマイヤーレモンの苗木を100本も植えていないのに滋賀で一番格式が高いと言われている老舗ホテルから大きな注文を取ってくるのです。

 

まぁ、それは去年秋にK君が営業する時に我が農園で最高のレモンをサンプルとして持たせてやったが功を奏したのですが。

そして去年の秋に開催された農産物品評会で我が農園のマイヤーレモンが優秀賞を受賞し、農業雑誌に掲載されたことでK君の営業に加速がついたのです。

 

ほそみち農園グループとしてK君が営業することに何の問題はありませんし、K君も自分の農園で栽培したものではなく、優秀賞を受賞した親戚の叔父さんが作ったレモンを出荷することを話して営業しているので産地偽装でもありません。

数年後に自分で育てたレモンを出荷できるようになるまで師匠として、また親戚の叔父さんとして援助せざるを得ないのです。笑

 

我が農園で11月に収穫するマイヤーレモン、既に完売しているみたいなものです。

でも甥には市場価格では卸せないし、JAさんもこれまでお世話になっているし、その配分で悩んでいます。笑

折角高値で売れるところを紹介してもらったのに...笑

 

私の弟子のK君とYちゃん、K君が弟子入りしたのはYちゃんが卒業した後からですが、その2人には既に大きな開きができてしまいました。

Yちゃんは既にある程度は成功していますし、今年は去年の倍以上の成功になると思います。

 

はっきり言って、甥のK君の方が遥かに条件が良いのですが、これまでのK君の一番大きな実績は営業で老舗ホテルと取引できたことぐらいですよ。

K君は25歳で男性、Yちゃんは私と同年の64歳、体力的にもK君が圧倒的に有利です。

しかもK君は31歳の友人のS君と2人で農園を共同経営しているので、労働力はYちゃんの倍以上です。

 

そして何と言ってもK君はほそみち農園から歩いて2分のところに実家の農地があるのですよ、Yちゃんみたいに売ってもらえる農地を探して売買交渉する必要もないのです。

でもK君は夢だけは人一倍ありますので、レモンの苗木を何百本も植えられる二番目の農地を購入しましたが、今まで植えたのはたった40本ほどだけ。

K君が購入した農地は農地の端の方に少ない数のレモンの苗木が植えているだけなので、一見では放置された農地に見られてしまいますよ。笑

 

レモンの苗木を植えてからまともな収穫が出来るまでに数年かかりますので、Yちゃんと同様にK君達にもニンニク栽培を教えて、取り敢えず1万個辺りのニンニクを植え、少しでもお金を稼げと何度も言っているのですが...

タマネギでもキャベツでも何でも育てられたのです。

 

私のアドバイスを少しでも聞いていれば、今までの2年間で少なくとも100万円や200万円ぐらいは稼ぐことは出来たと思います。

何しろ、2つの広い農地をほとんど何も使っていないのは非常に勿体ないですよ。

 

甥のK君も甥の友人のS君も我が農園のマイヤーレモンを食べて感動し、自分達で栽培してみたいと思う熱意は確かに感じられましたが、彼らは昼間の仕事で生活には困らないので、サラリーマンが週末に家庭菜園を楽しんでいるような感じになっているのです。

彼ら2人とも最終的にはレモン栽培一本で生活したいと思っているのは嘘ではないことはよく判るのですが、それが5年後や6年後、10年後になってもいいやという感覚でやっているのです。

 

つまり彼らは安全地帯に留まりながら、徐々に外堀を埋めて行き、そこが確実に安全地帯になった時点で乗り移る積りをしているのです。

それは堅実な方法かもしれませんが、私にはそれでは何事もモノにならないような気がします。

 

私が馬鹿だからかもしれませんが、K君のように25歳という若さなら、幾らでも失敗できる❕というのが特権だと思っています。

Yちゃんや私のように64歳になれば絶対に失敗はゆるされない❕のですよ。

我々には次が無いのです。笑

 

この歳で失敗すれば終わりみたいなものです。

 

Yちゃんにすれば、この歳になって新に広い農地を購入し、その近くに一軒家を購入して都会から引っ越ししたというのは人生を賭けたと言っても過言ではないと思います。

Yちゃんが会社を退職する際に他の会社からのお誘いがあったと聞いていますが、62歳の女性を会社に迎えたいと思わせるだけの実力がYちゃんにはある人なのです。

 

会社で実力のあった人は農業をやっても成功するのです。

もっと言えば、ハンドボールで全国レベルに到達した人は何事もどうやったら成功するかを判っている人ですし、自分に厳しい人ですよ。

 

繰り返しになりますが、実力がある人も無い人でも、退路を断って、自分自身を追い込めることが出来る人は強いです。

頭の回転云々よりも、それが出来るか出来ないかで成功するかしないかが左右されるのと私は思います。

 

こんなベタなことを書いてちょっと恥ずかしいですし、私の柄ではないのですが、現実にはどうしてもこのベタな言葉通りに行きついてしまうのですよ。

 

このブログに何度も書きましたが、還暦までずっとエンジニアをしてきた私は営業という難しい仕事は全く出来ません。

元々私は人間と接することが苦手なので機械と会話するエンジニアでしか仕事できなかったのですからね。

 

JAのアドバイザーのSさんは幾ら農家であっても自分の作物を持って店に営業に来てくれないと誰も私が何を作っているかは知らないままだと何度も言われてました。

スーツを着なくても、作業着のままでいいとも言ってくれました。

そんなことは農業一本で生活している農家さんなら誰でもやっていることだと...

 

人混みの場所さえも嫌いな私が知らない人に挨拶して、営業するなんて難しいことは絶対に出来ないと話したら、そしたらほそみち農園がレモン栽培をやっていることは誰も知らないので、誰からも一生連絡が来ないままだと言われてしまいましたよ。

 

随分前の日記に書きましたが、アドバイザーのSさんは嫁さんの従弟のTちゃんと石山高校の同級生だったので、TちゃんがSさんに農業を始めたばかりの我々を面倒みてやってくれとお願いしてくれたのです。

それからSさんが定期的に我が農園に来てくれるようになりました。

Sさんと知り合わなかったなら、我々のレモンの販売先は嫁さんの親戚の叔父さんの店だけだったかもしれません。

 

Sさんから言われている名刺もまだ作っていません。

名刺だけでも配りに行く気分になれなかったからです。

でも前述した様に、現在はその必要はなくなりました。

 

仕方ないですよ、今までずっと電子機器と睨めっこしてきた者が人間と話をしろと言われても世間話もできませんよ。笑

それなら農作物品評会で何かの賞を貰って、雑誌やネットなどに掲載してもらうしかほそみち農園がレモン栽培していることを誰も知ってもらえないじゃないか❕とSさんは笑いながら冗談を言ったのですが、私にはそれが冗談ではなかったのです。

と言うより、それしか方法がなかったのです。笑

 

私は本気で農作物品評会で受賞するためにバイクを買うのを2年近く我慢しましたよ。

最近ではバイクを1日でも乗らないと気がおかしくなってしまう感じですが、シカゴ郊外の地平線が見える広い大地をぶっ飛ばしていた私にはバイクに乗れない日々は辛かったですよ。

 

全国の農作物品評会で受賞したレモンを徹底的に研究し、どうすれば賞が取れるのかを色々学びました。

今なら話してもいいと思うのですが、品評会に提出するレモンは20個ぐらいですので、品評会に提出する実を成らせる木は予備を含めて2本か3本もあれば十分なのです。

 

その3本だけは2年間特別に集中して育てました。

そしてその3本の中で最も立派で見栄えの良い20個を選び抜いて品評会に提出しました。笑

そしたら幸運にも優秀賞を受賞できたのです。

 

 

 

64歳のYちゃんも私も後が無いのです。笑

 

この歳で大きな失敗をしたら、それで終わりだとは思いませんが、25歳の若者が受けるダメージの10倍ぐらいは被りますよ。

この歳になって筋金入りの技術屋が営業しろと言ってもそれは無理なので、私は私なりの方法で営業をやるしかなかったのです。

 

窮鼠猫を噛むではありませんが、退路を断って、自分自身を追い込める人は強くなれるのです

 

突然に実家のお袋から電話が掛かってきて、「近所の人が私の名前が載っている雑誌を持ってきて見せてもらったんやけど、あんた、何か賞をもらったんか❓」と訊くのです。

メディアの力って凄いですね、雑誌に小さく私の名前とほそみち農園の名前が載っていたのですが、農業に関係ない実家の近所の人まで知ってもらえましたよ。

この影響力は甥のK君が老舗ホテルと取引できるまでに及びました。

 

そして何かを人生賭けてやってる人は3年か4年で必ず何らかの結果を出すものだと思います。

そりゃ、息子が研究しているアルツハイマーの治療なんて息子が一生かかっても成果が出るものかどうかはわからないものですが、Yちゃんや私のように還暦を超えて会社を退職した者が新たに始めた仕事は3年か4年ぐらいである程度の結果が出ないと一生成果が出ないと思います。

 

勿論、Yちゃんも私もまだまだ成功したわけではなく、トンネルの出口の明かりが見えたぐらいですが、それが見えただけでも頑張る元気が湧いてくるのです。

 

Yちゃんでも成功と言えるまでにあと3年はかかるでしょう。

私も同じぐらいかかります。

Yちゃんも購入した広い農地は完全に整備はしていないので、まだまだ苦労は続きますが、トンネルの出口の明かりはYちゃんも私もハッキリ見えていますので、It's a matter of time❕ですよ。

私が二台目のハーレーを買うのは3年ぐらいあとになりそうです。
 
私は甥のK君の生き方を指導できるような資格は全くありませんが、今度Yちゃんに会った時に爪の垢をもらってきて、K君に煎じて飲ませてやろうと思っています。