今日私は底辺の若者エリートの若者と酒を飲んで会話する機会を作りました。

この2人の若者にお酒を飲ませて話をさせればどんな風になるのだろう❓と私は変なことに興味を持ったのです。笑

人間も63歳も生きていると人はこういうものだという考えがまとまってくるのですが、私の考えが間違っていなければこんな風になるはずだと想像してしました。

そしてその想像が正しかったら私は人間を見る目がある、つまりこれまでの私の生き方は間違ってなかったことを確認できることになるかもしれないのです。笑

 

彼らの会話は私が想像していたのとは全然違うものになりましたよ。

 

私の人間を見る目、全然ありませんでした。笑

 

でも私が想像していたのとは全然違うものになったことが嬉しかったのです。

なぜなら人間というものは私が想像したよりも面白い生き物だったからです

 

若者2人の会話を目の前で聞いていた私はかなり面白かったですよ❕

 

以前の日記で小浜港で獲れたての生タコを買ってきたことを書きましたが、それは我が家でたこ焼きパーティーをする為に買いました。

その生タコの1/3ぐらいはその日にたこ焼きを作って嫁さんと私の二人で食べましたが、残りの2/3は後に行うたこ焼きパーティーの為に冷凍庫でカチンコチンに凍らせておきました。

 

大きなタコ、結構分量があるのですよ。

嫁さんと私の二人がたこ焼きに贅沢に入れて食べる分量なんてタコの大きな足一本ぐらいでした。笑

 

たこ焼きパーティーを開いた主な理由は二番目の妹に私が焼いたたこ焼きを今年の3月31日から敗血症で入院している一番目の看護師の妹の病室に持って行ってもらうためです。

入院している妹は大のたこ焼き好きであり、妹が我が家に来る時はいつも地元では有名なたこ焼き屋さんに寄って大きなタコが入っている高価なたこ焼きを持って来てくれました。

私はそのたこ焼きよりももっと大きなタコを入れて特製たこ焼きを作り、入院している妹に食べさせてやりたいと思ったのです。

 

今回は二番目の妹が次男のY君を連れて滋賀までやってきているので、Y君と同世代の甥のK君を呼んでたこ焼きパーティーをすることにしたのです。

私のお袋は私が作ったレモン農園を一度見たいので妹達と一緒に付いて行くという連絡がありました。

 

妹の次男のY君は小さな虫が飛んできても逃げ回る情けない大学生なので、比叡山の麓にある私の農園を歩くことができるかどうかが心配でしたよ。

以下の写真は左から私、二番目の妹、お袋、そして妹の次男です。

お袋は社会に出てから還暦までエンジニア一筋だった私が500本以上のレモンの苗木を植え、これだけの広大な農地の草刈りをやっていることを見て驚いてましたね。

 

 

甥のK君は午前5時半から始まる仕事が11時には終わるので、12時前には来られるとの返事でしたので、私は12時前にたこ焼きパーティーの準備をし始めました。

 

 
 
 
 
 
実は今日は入院している妹の状態が回復してきたので特別病室から一般病室への引っ越しをする日でした。
妹は今日から点滴をする必要がなくなりました。
しかし妹はまだ下半身を動かすことが出来ないので、下の世話が必要であり、病室の引っ越し作業をしてもらう者は二番目の妹だけにして欲しいと言われてました。
午後1時に引っ越しが始まりますので、二番目の妹は12時前には我が家を出発しなければなりませんでした。
 
二番目の妹とお袋に最初に焼いたたこ焼きを食べてもらい、お見舞いのたこ焼きの包みを持って二番目の妹とお袋は病院に向かいました。

妹の次男も私の息子と同じで筋金入りのマザコンです。

私の予想では次男のY君はワイルドな私の甥のK君とたこ焼きパーティーに残って2人で話をすることが出来ないので、母親と一緒に病院に向かうと推測していました。
 
私はY君にたこ焼きパーティーに残るなら私が車で家まで送って行くと話しました。
そしたらY君は「おっちゃんが送ってくれるなら僕は残りたい」と言ったのです。
 
第一の私の予想は外れました。
 
簡単にY君とK君を紹介します。
 
妹の次男のY君は父親の仕事の関係でベトナムで幼少期を暮らした後にオーストラリアで中学・高校・大学に進みました。
ベトナムでもイギリス系のインターナショナルスクールに通っていたので、英語と日本語のバイリンガルです。
オーストラリアの東大と言われているエリート大学の学生です。
 
Y君の父親は大手広告会社〇通のクリエイティブ部の社員でした。
メルシャンワインのCMの制作で何とかという賞を撮ったことがあります。
早稲田を院まで行きました。
そして私の妹である母親はNYUというニューヨークの大学院を卒業し、東京の出版社で働いていました。
NYUという大学は世界大学ランキングでは東大の上か下辺りにいつも位置している著名な大学です。
妹が夫と出会ったのはTBS局内で行われた会議だったそうです。
 
所謂、典型的な勝ち組家族になると思います。
 
そしてK君は嫁さんの従妹の長男。
妹の次男のY君とは正反対の家族で育ちました。
 
K君の父親は建設会社を経営していました。
会社を経営しているといっても一人親方みたなものだったようです。
会社の業務内容も解体作業やホテルやレストランの空調設備のメンテナンスなど、人が嫌がる肉体作業を何でも引き受けるような会社だったようです。
ガテン系の家庭では大学へ進学させてやるという雰囲気は全くなく、地元の高校を卒業すれば働くのが当たり前の世界だったとK君は言います。
 
K君の父親は暴飲暴食が祟って脳出血を起こしました。
最初の脳出血は幸いにも回復できたのでK君の母親が二度と暴飲暴食はやめてほしいと再三お願いしたにも関わらずK君の父親は暴飲暴食を止めませんでした。
そのことから夫婦に徐々に亀裂が入り、離婚まで発展してしまいました。
案の定、K君の父親は二度目の脳出血を起こし、残りの人生を施設で暮らすことになりました。
 
K君は高校卒業後に地元にある大手企業の工場で工員として2年間働いていましたが、20歳の時に父親が再起不能になり、会社を辞めて父親の会社を継ぎました。
正式な従業員はいなかったらしいのですが、20人ほどの契約社員の生活がその会社にかかっていたのです。
若干二十歳のK君が10歳も20歳も年上のガテン系の人達に仕事を与えて彼らの生活を支えていたのです。
 
請求書などの事務処理や取引先との契約交渉、契約社員への仕事の割り振り、そして仕事をバックレた奴や人手を手配できなかった時は自ら現場に出向いて肉体労働をしています。
彼は高校を卒業してから25歳になるまで、親から一切の援助もなく、毎日汗を流して仕事をしています。
 
私は比叡山の麓にある本農園で力仕事が必要な時に甥のK君に農園に応援に来てもらってました。
レモン畑の排水溝を設置するためにスコップでの辛い肉体労働です。
一輪車で重い腐葉土を苗木を植える場所まで運び、盛り土を作って苗木を植える作業もしてもらいました。
 
 
 
K君は自分が植えたマイヤーレモンの苗木が成長し、実を付けるのを間近で見ている内にレモン栽培の仕事に惚れ込んでしまいました。
K君は我が本農園から歩いて3分のところに実家の畑があるのですが、何十年も手付かず状態でした。
私はK君に仕事が暇な時に自分の畑を蘇らせて、マイヤーレモンの苗木を植えることを提案しました。
 
そしてレモン栽培の仕事に惚れ込んだK君は同じ肉体労働のするならレモン栽培を一生の仕事にすることに決めて、私の弟子になったのです。
ぶっちゃけた話、足にTATTOOがあり、耳ピアスが幾つもあるようなチャラ男なんかにマトモな仕事が出来るのかよ❓と思っていましたが、驚くほど仕事は真面目にするのですよ。
 
我が農園に重い鉄の扉を取り付けるのも約束通りキッチリやってくれました。
我が農園の近所の農園の扉は取り付け方が雑なので、留め金棒を差し込むのに足で少しだけ扉を押し下げたりするのが普通ですが、エンジニアだった私はそういういい加減な取り付けが大嫌いなので、手間のかかる設計でK君にお願いしたら嫌な顔一つせずに最後までキッチリやってくれました。
 
以下の写真は扉の留め金棒が小指一本でスーッと滑らかに筒の中に入ったことを確認した時のガッツポーズです。
鉄の重い扉は組合から支給される物なので他の農家さん達と同じ物なのですが、少なくとも我が農園の周辺の農地の入り口の扉の中で全く引っ掛かりもなく金棒がスーッと筒の中に入るのは我が農園だけです。笑
 
 
この時期の肉体労働者は気温が低い日の出と共に作業を開始するのが通常らしいですが、K君は午前5時半に現場で作業を開始し、午後2時や3時に仕事が早く終わったら自分の農園の整備をしていました。
語弊があるかもしれませんが、こんな若者が土日関係なしにずっと仕事をするとは私は夢にも思いませんでしたよ。
 
仕事が休みの時はお持ち帰りした女の子とプロレスして、休日には昼間で寝ていると思ってましたが、お持ち帰りした女の子とプロレスしても翌朝の7時ぐらいには自分の農園で汗を流して働いているのを私は自分の農園へ行く途中で何度も見ています。
午後から夜中までの仕事が入っている時は朝から昼まで農園で働いているのです。
 
正直言って私にはビックリポンでしたね。
以下の写真は2週間ぐらい前に撮ったものですが、現在の畑は植えた苗木で満載になっています。
凄く手間がかかる排水溝の設置も教えた通りに手を抜かずにキッチリやってました。
 
 
妹の次男のY君は22歳、K君はもう直ぐ誕生日が来るのですが現在は満24歳。
彼ら2人は同世代の若者です。
Y君は畑でスコップを持って汗を流したことなんて一度もありません。
Y君はオーストラリアの空手道場で黒帯を取りましたが、空調設備が整ったスポーツジムで汗を流すのと炎天下の農園で汗を流すのとでは全く違いますよ。
 
Y君もK君と同様にスリムで筋肉質の身体をしていますが、Y君が炎天下の農園で1時間も肉体労働が出来るとは思いません。
現在の私は農園で肉体労働を8時間以上出来るようになりましたが、それには4年近くかかりましたね。笑
 

オーストラリアはかつてイギリスの植民地であったせいなのか、その大学を卒業した者はイギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学の大学に進学する者が多いです。

Y君も大学院はその辺を狙っているのですが、アメリカのアイビー大学であるペンシルベニア大学や東京大学との提携関係があり、教授に推薦状を書いてもらうことが出来たならその辺の大学院も選択肢に加えるらしいです。

 

全く異なるタイプの若者二人、彼らが一体どんな会話が飛び出してくるのかが私は楽しみで仕方がありませんでしたよ。笑
 
そしたらK君は仕事を話をし始め、Y君は自分が勉強しているビジネスの話をし始めたのです。
私はドクターから止められているお酒を氷を入れたコップ酒をしているのにそんなつまらない話をするなよ❕
 

「お前ら若者やろ。そんなつまらん話をせずに女の話でもしろよ❕」ととうとう私はツッコミを入れてしまいましたよ。笑

 

さすが嫁さん、こういう時に地酒の良いものを何本か出してくるのですよ。

こんな美味しい酒を嫁さんは家の何処かに隠していたとは...

「アンタは少ししか飲んだらアカンで❕ 折角検査の数値がよくなったのに」と嫁さんに言われましたが、私が止まることはありませんでした。

その前に私は本当に久々にビール缶一本を空けたのですが、あれは持病の腎臓結石になる原因のフリン体が含まれていますので、本当にそれで最後にします。笑

 

若者2人の共通点として、今は彼女は必要ないということでした。
 
なんでやねん❕
 
昭和の人間の私としては二十歳前半の若者が彼女を作らないというのは不健康そのものですよ❕
 

Y君は自分がまだ腐ったリンゴみたいな人間なので、彼女を作ってもそんな現在の自分を見て欲しくないと訳がわからないことを言うのです。

63歳のオッサンが若者達の会話に口を挟むのは申し訳なかったですが、思わずツッコミを入れてしまいました。

 

「オッチャンは63歳やけど、まだ腐ったリンゴみたいな人間のままやで❕ そんなことを言うてたら還暦になってしまうぞ。」

 

意外なことにガテン系のK君もY君と同じようなことを言うのです。

 

K君は今後5年かけて父親から継いだ会社の事業内容を建設業からレモン栽培に移行し、現在建設現場で肉体労働をやってもらっている契約社員の人達をレモン畑で働けるように教育する必要もあるので彼女と付き合う暇がないと言うのです。

私の農業の師匠のYさんが持っている5箇所の農地の内の一箇所を譲ってもらう予定になっており、銀行からの融資の話などで凄く忙しいのは判りますが、それとこれとは別問題ですよ。

 

その農地には300本ぐらいのレモンの苗木が植えられる広さですが、自分が継いだ農園を含めて合計500本ぐらいであり、それでは自分が食べていくだけで精一杯です。

私の師匠のYさんは高齢のために農業を辞めて放置されている6箇所の農地をK君に案内してくれました。

その農地の購入の値段交渉や銀行からの購入資金の借り入れなど確かにK君は5年ぐらいはてんてこ舞いでしょう。

 

ガテン系のK君はお利口さんのY君と違ってお持ち帰りした女性とプロレスするのは日常茶飯事であり、風俗通いもしていたそうですが、今ではそんなことをしている暇がなくなったと言うのです。

レモン栽培が軌道にのって自分が根の張った男にならないと彼女を作る気分になれないと言うのです。

 

最近の若者は皆こんな感じで見た目と異なり、結構真面目なのですかねぇ。

 

全くタイプの違う若者2人が言ってる内容の根本は同じなのです。

こいつら二人とも私の息子の様に親不孝者になってしまう匂いがしました。

 

息子も嫁のGちゃんも仕事中毒であり、二人とも30歳を超えたのに今だに孫の顔を見させてもらえません。

子供を作ろうとする人間の最大の義務を果たそうとする気配がまだありません。

この二人が酒を飲んで最初に話し出した話題がお互いの仕事の話であったことを書きましたが、それは彼ら自身が一番に関心のあることなのです。

 

こういう若者は自分の仕事が軌道にのってきたら息子達のように仕事中毒になり、結婚や子供のことが後回しにしてしまうのです。

私はこのブログに何回も書いてますが、健康な若者が仕事なんかのために子供を持つのを後回しにするのは犯罪です

子供を持ちたくても持てない者達に申し訳ないと思わないのか❕と私は言いたいです。

 

親は子供が出世するのは嬉しいものであるのは間違いないですが、孫の顔を見させてもらえば親にとってはそんなことはどうでもいいことなのです。

結婚するのは後でもいいから、自分の子供を産んでくれる女性がいたら、その時の生活が貧乏であっても絶対にそのチャンスは逃したらアカン❕と私は彼らの話に割り込んでしまいました。

私の息子の様に親不孝者になるなと...

 

嫁さんは若者2人が来るのですから、たこ焼きだけでは十分ではないと思ってBBQ肉も用意していました。

 

 

K君は月に一回ぐらいの割合でK君は友人達とBBQをやっているので、彼はBBQのプロ。

「おっちゃんの道具では美味しく肉が焼けへんわ。ちょっと家に帰って道具持ってくるわ」と言って彼は自宅からBBQの道具を持って来て、やり始めました。

K君、頼もしい。

そんなK君を側で見ていたY君はK君を気に入ったみたいです。

 

 

 

K君もY君のことを気に入ったみたいです。

 

K君は足にTATTOOがあるし、幾つもの耳ピアスがあります。

普通の人達なら半グレと間違えられるかもしれません。

K君は温泉やスーパー銭湯やサウナには入店できず、サウナに入る時は車で一時間かけて高速道路を滋賀から大阪まで走り、TATTOOがあっても入店できるサウナまで行くそうです。

そういうことからも世間の目は冷たいことを感じているのです。

 

嫁さんと私は22年間も住んでいたので、TATTOOがある人に慣れています。

私の部下にも厳ついTATTOOがある奴は何人もいましたよ。

私はそういう奴等を上司として躾をしていました。笑

 

Y君もオーストラリア育ちなのでTATTOOや耳ピアスをしている者は普通の人と同じです。

Y君はTATTOOがある者が温泉やサウナに入店できないことを聞いて驚いていました。

そしてY君の大学の親友も身体のあちこちにTATTOOがあると言って、LINEで写真を送ってくれました。

去年Y君が帰省した時にその親友がオーストラリアから東京に遊びに来たので、日本の温泉に連れて行ってあげようかと考えていたので、危ないところだったと言ってましたね。

 

 

 

底辺の若者とエリートの若者とがたこ焼きパーティー中に化学反応を起こしていたのです

 

おもろなってきたやん❕と私は思いましたね。

 

我々は嫁さんがお客様用にとっておいた四合瓶の高い酒をコップ酒をして何本も空けてしまいました。

 

 

話のシメはやっぱり嫁さんがやりましたね。

我々男3人は完全に論破されてしまいましたよ。笑

 

Y君は今日初めて私のレモン農園を見て、還暦を超えた私があれだけの農地を整備し、500本以上の苗木を植えるには相当な精神力がないと成し得ないものだと言ってくれました。

排水溝を設置するのに重機を扱えない私はスコップ一つで掘ったことを聞いてY君は驚いてました。

単純な繰り返しの肉体労働を何年もやるには相当な強い精神力が要ると褒めてくれました。

肉体的な辛さだけでなく、精神的に参ってしまうのをコントロールする精神的な強さが要ると...

 

私はそんな精神的な強さなんて持っていませんし、単純な繰り返しの肉体労働は頭が空になるので、身体は悲鳴を上げても頭の中は結構爽快なのですよ。

それに自分の畑が段々立派になっていくのは嬉しいものですからね。

 

それから我々はどんな人間が精神力が強いかとあれこれ話していました。

そしたら違う酒の瓶を持って来てくれた嫁さんが口を挟むのです。

 

「最近になってやっとほそみちも普通の農家の男に近づいてきたわ。そやけど、この辺の農家の男の人はほそみちの2倍ぐらい働いてはるで。こんなもんで精神が強い男や言うてたら笑われるで」

 

体育会系の嫁さんにはそんなもんですが、決して間違っていません。

嫁さんが尊敬していた父親は私の倍ほど働いていたし、私の師匠のYさんの80歳の奥さんの働きの足元にも及ばないのは嫌というほど目の前で見ましたからね。笑

 

そして嫁さんはY君に向かって言うのです。

「Y君みたいなエリートさんの精神が弱すぎるねん。パワハラとか仕事のストレスで自殺してしまう人はエリートばかりやん。私の周りでK君みたいに肉体労働の仕事をしている人が仕事のストレスで自殺した人は誰もいないで」

 
改めて考えてみたら嫁さんの言う通りだと我々3人は納得しましたね。笑
 
マイヤーレモンの仕事がある程度一段落したらK君と私はオーストラリアに遊びに遊びに行くことになりました。
Y君はオーストラリアの面白いところに連れて行ってくれるそうです。
我々がオーストラリアに行ける余裕を持った頃にはY君はもうオーストラリアにいないかもしれませんが。
 
そしてK君はもしY君が大学を追い出されて無職になっても1日1万5千円で雇ってあげるから、生活に困ることはないと言ってました。
底辺の仕事とされている単純な繰り返しの肉体労働の仕事なら世の中には幾らでもあるとK君は説明していました。
でもそういう仕事をする若者はなかなかいないので、最近では日本語を少し話せるベトナムの若者達にも仕事をやってもらっているそうです。
 
私はY君の親の教育が悪かったのではないかと思いましたね。
Y君はちゃんと大学を出ないとマトモな人生を歩めないと洗脳されていたのかもしれません。
高卒のK君が以下の写真の大きな車に乗って楽しく生活しているのを見てY君の身体の中で何かの化学反応が起こったみたいです。
K君はその車の他に仕事用の車を含めて2台持っています。
私がY君をN-BOXで送る積りでしたが、K君がY君を送って行くと言ってくれました。
 
若干25歳でこんな車を2台も持っているK君は底辺の人間であるわけがありません。
人の嫌がる仕事を滅茶苦茶頑張って働いていれば大卒の給料よりも遥かに高い収入が得られるのです。
世の中ではK君がやっている仕事が底辺の仕事だとされているので、K君は底辺の人だと間違った見方をされているだけです。
それをY君はやっと気付いたみたいです。
 
 
高校を卒業しただけでは社会の役に立たない者が大学に行ってスキルを身に付ける必要があるのです。
私だって高校時代に作曲した歌がオーディションに受かっていたなら大学なんかに行きませんでしたよ。笑
勉強が幾ら出来てもそういう基本的なことには気付かないものですね。
 
K君は現在やっている仕事をするのに高校も行かなくても出来ると言ってましたよ。笑
私のやってるレモン栽培も同じです。
K君はガテン系の荒くれ男達の世界で鍛えられ、いい加減な仕事をしたらどういう目に遭うか、ガテン系の荒くれ者達の機嫌を損ねたらどういう目に遭うか、彼は現場でその一つ一つを身体で勉強していったと言います。
 
二十歳の若造が10歳や20歳も年上の者達に仕事をしてもらうには入れ墨の一つぐらいはないとなかなか言う事を聞いてもらえなかったそうなので、K君が安易な方法を取ったのも私は責める積りは全くありません。
古代歴史マニアの私は縄文時代の男達は歯を抜いたり、入れ墨を顔に入れたりして痛さに堪えた男、命を賭けて狩りが出来る一人前の男になったということを示す必要がありました。
アメリカインディアンもそうでうよね。
 
その後に大陸から来た人間にとっては入れ墨は野蛮な行為なのでその慣習が廃れて行きました。
入れ墨は太古からある自然発生したものなので、後ろ指を差されるものではないのです。
K君の話を聞いて私はPrimitiveに生きた縄文人をイメージしましたよ。笑
そういう縄文時代の男達の文化みたいなものが現在社会にも残っているのが私には面白く思えました。
 

私が開いたたこ焼きパーティー、面白い化学反応を起こしたみたいです。