新記録が出ました。

3日連続で比叡山の麓にある本農園に行き、過酷な肉体労働を朝から晩までやりました。

シカゴから帰国した頃は1日本農園で肉体労働をすればその後の一週間は自宅で養生をしなければ体力が回復しませんでした。笑

先日体重を計ったら帰国した頃よりも6.5㎏も減っていました。

 

私の泥沼状態というのは離婚裁判でもめているのではなく、借金でもめているのではなく、文字通り、身体中を泥にまみれた泥沼の状態だったのです。

 

シカゴから帰国して、嫁さんの実家の農業を継いでから3年近くが経ちますが、今回初めて比叡山の麓にある我が本農園の恐ろしさを知りました。

 

我が本農園の恐ろしさは比叡山から湧き出る湧き水です❕

 

このブログに何度も書いていますが、我が本農園は比叡山の麓にあり、365日湧き水が農園内の用水路で流れています。

比叡山に観光に来た人達が比叡山の霊水と呼ばれる湧き水をペットボトルに入れて持ち帰りますが、その比叡山の霊水が湧き出るの水源地が我が本農園の一番奥の場所にあります。

我が農園はミネラルをたっぷり含んだ湧き水で作物を育てているので、美味しい果物が出来ると羨ましがられています。

 

私は帰国してから310本のレモンの苗木を本農園に植えましたが、それだけの本数を約2年間で植えられたのは我が本農園を任されていた師匠のYさんが十数年前に排水処理を済ませていたので、私は土木工事をする必要はなかったからです。

 

そして先月に師匠のYさんに貸していた広大な田んぼが戻ってきたのですが、水捌けの良い土壌が必要なレモン畑にするのは大掛かりな土木工事が必要です。

 

師匠のYさんは大型機械でやってあげようかと言ってくれましたが、丁重にお断りしました

何時までも82歳の師匠のYさんにおんぶにだっこをしてもらっていては俺が作った果樹園だと胸を張って言えませんからね

それに排水処理の土木工事は最初の一回だけであり、数年後にレモンの実が沢山成る果樹園になっても、この果樹園の基礎を作ったのは師匠のYさんであることが私の残りの人生について回ります

 

それは絶対に嫌です❕ 笑

 

たとえ何年かかろうとも、私と嫁さんだけでレモンの果樹園を作ることを我々は決めました。

 

前回の日記に書きましたが、幸いにも我々は借金も全くないし、子供達も独立しているし、生活していくのに大きなお金は必要ありませんので、収入はそんなに気にしなくても良い身分です。

今後2,3年間全く収入がなくてもシャトーブリアンのステーキを頻繁に食べに行かなければシカゴでエンジニアをしていた時の貯えで十分に普通に生活して行けます。

 
収入を気にしなくてもいいので、自分達のペースで仕事が出来るのですが、お天道様はどんな者にでも平等に苦労を与えるのです❕

 

第8レモン畑の排水処理をするための最初の作業として、仮の排水溝をスコップで掘ります。

 

そうすると畑の土壌に含んでいる水が流れ出して、土壌が硬くなっていきます。

そうなればその後は三菱の耕運機の穴掘り機能で容易に排水溝を作れます。

前回の日記に書いた様に、第二レモン畑の排水工事を師匠のYさんがユンボでやってくれた時は半日ぐらいで土壌が硬くなり、耕運機で畑を耕すことが出来ました。

 

 

ユンボで掘った深く広い溝と違って、スコップで私が掘った溝は1/10ぐらいの深さと広さなので、土壌の中の余分な水が流れ出すまでに3日ほどかかると師匠から聞いていました。

ところが今回は溝を掘った翌日には既に土壌が硬くなって耕運機がちゃんと走れるようになっていたので私は大きな勘違いしてしまったのです。

 

楽勝やん❕と感じた私は調子に乗ってしまい、仮の排水溝を掘ってない場所まで耕運機を走らせたのです。

仮の排水溝を掘ってない場所でも耕運機はすいすい走ったので、師匠の言った仮の排水溝を掘るという二度手間をする必要なんてないじゃないか❕と感じました。

そう感じた3分後に私は泥沼状態に陥ってしまいました。

 

畑の地表の見た目は普通でも泥沼の箇所が突然に現れたのです。

三菱の耕運機の半分は泥沼にめり込んでしまい、このままではエンジンが水に浸かったままだったので焦りましたよ。

その時は必死だったので写真を撮る心の余裕も時間もありませんでした。

 

朝の8時前から第8レモン畑で作業を始め、朝の9時に泥沼に突っ込んでしまったのです。

水に浸かったエンジンが故障する前に何とか泥沼から引き上げようと私は必死で耕運機周りを掘りまくりました。

3時間近くスコップで掘っていたら体力の限界を超えてしまい、身体中が汗まみれのままその場で横たわりました。

 

急に身体が動かなくなったのです。

若い頃は徐々に身体が鈍い動きになったのですが、還暦を超えると突然にそうなるのです。

 

午後1時過ぎには帰ると嫁さんに言っていたので、2時前に嫁さんが心配してスマホに電話を掛けてきました。

私は嫁さんに状況を詳しく話しました。

その時は私は身体を1㎜も動かない状態だったので、嫁さんにこの耕運機は諦めた。明日新しいのを買いに行く❕と言って電話を切ったら、嫁さんが駆けつけてきました。

私を心配したのではなく、半分水に浸かった耕運機を救う為です。

 

その後に嫁さんと二人で耕運機周りを掘って泥沼から引っ張り上げられたのは午後4時前でした。

嫁さんも私も過酷な肉体労働の連続jで体がガタガタになりました
 

ところが馬鹿な私は同じ失敗を翌日にやってしまうのです。

 

翌日、私の身体はまだガタガタ状態だったので、第9レモン畑を楽な作業である乗用草刈り機で草刈りだけはやっておこうと思いました。

第9レモン畑を歩いて調べてみたら普通に堅い土壌だったので、仮の排水溝をスコップで掘る必要はないと判断したのです。

 

実際に乗用草刈り機で草刈りを走らせてみると何の問題もなく、ちゃんと草を刈ってくれました。

それが以下の写真です。

乗用草刈り機での草刈り作業だったら、身体にほとんど負担がかからないので、ガタガタ状態の身体でも出来ますからね。
 

 

200mぐらいは調子よく刈れていたのですが、第9レモン畑の最後の奥の場所でUターンしようと思ったらいきなり以下の写真の箇所があったのです。

 

 

上記写真は乗用草刈り機を救出した跡のものです。

泥沼にはまった時は写真を撮る余裕がありませんでした。笑

見た目は普通の地表だったのですが突然に泥沼状態の箇所が現れるのです。

 

午前8時過ぎに第9レモン畑の一番奥にあった泥沼に突っ込んでしまい、前日と同様に乗用草刈り機を引っ張り上げようと周りをスコップで掘っていたのですが、前日と同じ午後1時前にダウンしてしまいました。

前日に続いて2日目だったので私の身体が完全に悲鳴を上げてしまいました。

 

そして前日と同様に午後1時過ぎに帰ってこない私を心配して電話をしてきた時に前日と同じことを言ってしまいました。

この草刈り機は諦めた。明日新しいのを買いに行く❕と弱音を吐いて電話を切ったら、嫁さんが駆けつけてきました。

嫁さんは私を心配したのではなく、半分水に浸かった草刈り機を救う為です。

 

草刈り機周りの地面を掘るだけではなく、車のジャッキで草刈り機を持ち上げて、草刈り機の下の土も掘らなければなりませんでした。

最後の方の私は右腕が痛くて上がらないようになってしまいましたので、代わりに嫁さんが頑張ってくれました。

 

 

 

嫁さんはこの乗用草刈り機は80万円以上もしたのに3ヵ月も経たない内に水にエンジンを浸けたままで壊してしまうのは勿体ないと頑張ってスコップで掘っていたのですが、たかが80万円ぐらいのことで嫁さんの身体が壊れてしまっては元も子もありません

嫁さんにもう放っておいて帰ろうと何度も言ったのですが、嫁さんは泥沼から脱出させるまで止めませんでした。

 

嫁さんは口悪いですが、その分だけちゃんと働く人です。

それだけは私は認めています。

 

以下の写真は泥沼から脱出させた時に記念に撮ったものです。

取り敢えず泥沼から脱出させたのでエンジンは水に浸かることはありませんが、第9レモン畑から草刈り機を出すには200m以上の距離があります。

午後5時過ぎには嫁さんも私も体力の限界を超えていたので、草刈り機はそのまま置いたままで家に帰りました。

 

とりあえず泥沼から脱して、草刈り機が走り出すまでまでにはまだ数時間の作業が必要でしたが、その日の我々は力が尽き果ててしまったのです。

そして翌朝には泥沼から脱出させた草刈り機が再度泥沼の状態になっていることは判っていました。

天気予報で午後6時から翌朝まで大雨が降ることを知っていたからです。

しかし嫁さんも私も身体が動かない状態だったので、置き去りにするしか仕方なかったのです。

 

 

 

そして翌朝6時、精神的に参っていたので写真を撮る余裕はなかったのですが、嫁さんと現場に行ったら、予想していたものよりも夜中に降った大雨の影響で更に悪い状態になっていました。

300㎏近い重量がある乗用草刈り機をもう一度泥沼から脱出させるのには二人が数時間スコップで作業しなければなりません。

 

私は嫁さんにもうそろそろ観念して道具を買いに行こうと言いました。

嫁さんの従弟のMちゃんがハウスを建てる時に使用したチェーンブロックを使用すれば楽に乗用草刈り機を引っ張り出すことができるのです。

Mちゃんにそれを貸してもらおうと前日に電話したのですが、翌日は仕事で遠方で仕事をしているので、来週に貸してあげると言ってくれました。

 
来週では遅いのです。

早急に草刈り機を泥沼から脱出させないと水に浸かっている草刈り機のエンジンが壊れてしまう可能性があるので、Mちゃんにアヤハデュオで買うことを伝えました。

コメリかアヤハディオか、或いは土木の専門店にチェーンブロックは売っています。

 

Mちゃんのチェーンブロックは20万円ほどで購入したことをと聞いていたので、嫁さんは一度しか使わない道具に20万円も使うのは勿体ないと言うのです。

それなら私一人でもスコップでやると言い出しました。

 

それは私が許しませんでした。

 

たった20万円、私の持っている6本のどのギターよりも安い金額です。

道具やお金で解決できるなら、それを使うべきです。

自分の身体を犠牲にするのは一番最後の手段です

 

それに我々が必要なチェーンブロックは300㎏の草刈り機を持ち上げる小型のものが必要なので、Mちゃんの物の半額ぐらいのはずだと嫁さんに話しました。

その場でスマホで調べたら、安い物は楽天で10万までで売っていました。

1tまでの小型のものですが、我々はこれで十分です。

 

地元のコメリかアヤハディオで買えば楽天の様に安くはないでしょうが、そんなに端数に拘っている場合じゃないと思いました。

何れにせよ、コメリかアヤハディオならネット販売よりも少々高くてもその日に手に入ることが重要なのですからね。

 

嫁さんは最後まで勿体ないと文句を言ってましたが、私はアヤハディオで買ってきました。

楽天のものと同じく、1tまでの対応なので、それ十分でした。

 

そしてチェーンブロックを使えば簡単に泥沼から乗用草刈り機を引っ張り出すことが出来ました。

チェーンブロックは三脚で、物は真上に上がるのですが、二脚にして、先端を寝かせてしっかり固定してやれば自分の思った方向に1tまでの物が楽な力で動きます。

確かに嫁さんの言う通り、スコップで数時間作業すれば余計な出費を節約できたかもしれませんが、還暦を超えた我々はお金より自分達の身体を一番に大切にする必要がありますからね。

 

嫁さんはこんなに楽に300㎏の鉄の塊が私でも動かせることが出来ると言って感動していましたよ。

 

この機械は我が農園で他の目的にも色々と使えるのではないかとまで言ってくれました。

だからそれを何度も話してたやん❕と大声で嫁さんに言いたかったですが、無駄に嫁さんの機嫌を悪くするのは損なので、心の中にしっかり留めておきました。

 

泥沼から脱して、乗用草刈り機が走れるようになったので、私はそれを農機具小屋に仕舞いに走りかけようとしたところ、嫁さんが念の為に乗用草刈り機が走る場所を3mの青いビニールシートを敷くので、その上を走れと言うのです。

つまり乗用草刈り機を3m走らせたらそこで止めて、嫁さんが青いビニールシートを草刈り機の前に敷くのです。

200mの畑を走るのにその作業を80回以上しなければなりません。

 

大丈夫、大丈夫、もう他に沼地はないから❕と言って嫁さんを無視して30mほど進んだら見事に隠れた沼地にハマりました。

嫁さんは完全に私に呆れてしまい、もう私を叱ることすらする元気が残っていませんでした。

今回は本当に自分の馬鹿さに呆れましたよ。

 

丁度その時に従弟のMちゃんが自分の仕事が終わり、我が農園に駆けつけて来てくれました。

Mちゃんはもし我々がまだチェーンブロックを買っていないなら持ってきてくれる積りだったのです。

我々に何度電話しても出ないので、現場までわざわざ来てくれたのです。

 

 

 

上記写真のようにチェーンブロックをこういう形に設置すれば10分ほどで泥沼から脱出できます。

その時はMちゃんも手伝ってくれたので容易に出来ました。

 

そして第三の災難が起こったのです。

 

Mちゃんは無事に草刈り機が泥沼を脱出したのを見て、自宅へ帰ろうと自分の軽トラを農道で走らせたら用水路に落ちてしまったのです。

 

軽トラの重量は約700㎏ですから、私が購入したチェーンブロックでMちゃんの軽トラを引っ張り上げられます。

ただMちゃんの軽トラは農道から落ちたので、堅い農道に穴を掘ってチェーンブロックの三脚の足を支える場所にツルハシで穴を掘ってブロックを埋め込まなければならないので30分ほど時間がかかります。

レモン畑の土壌の様に柔らかくはありません。

 

私はツルハシで穴を掘り始めたら、Mちゃんが「ちょっと待って。仲間を呼ぶから」と言うのです。

皆で軽トラを担いだら一瞬で済むと言うのです。

私にとっては信じられない言葉でした。

そして30分後に5人のMちゃんの友達が来てくれたのです。

 

 

 

幸いにも日曜日だったこともあり、学校の先生も市役所の職員さんも自宅に居たのです。

Mちゃんは一回だけ電話をしていたのを私は知っているのですが、その一人の友人が他の4人の友人に連絡してくれたのでしょう。

昼間の仕事を持っている人達であり、農業は週末にする兼業農家の方達です。

 

私とMちゃんを含め、大人7人で700㎏の軽トラの軽い後部を持ち上げれば容易に農道まで移動さすことが出来ました。

後輪さえちゃんと農道に戻れば四駆の軽トラはバックをすれば前輪も農道に這い上がって来ました。

 

Mちゃんの言った通り、一瞬で終わりましたね。ビックリでした。

 

私は大人7人で軽トラを持ち上げたことよりも、Mちゃんの電話の一本で30分後に友人5人が来てくれたことに凄く感激をしていました。

Mちゃんも来てくれた5人も私と同世代のアラカンの人達。

Mちゃんはこんな良い友達に囲まれて生活しているのが凄く羨ましいと思いましたよ❕

 

アナタは電話一本で30分以内に友人5人を集められますか❓

私は無理です。

一人ぐらいなら何とかなるかもしれませんが...笑

相当に運の良い時であれば2人になるかもしれませんが、それは一生に1回あるかないかでしょう。笑

 

電話一本で30分以内に友人5人を集められる人って凄く魅力ある人ですね。

 

Mちゃんは友人5人が来てくれても大した挨拶もお礼も言わないところが、長年の友人関係であることを語っていましたね。

Mちゃんは来てくれて当たり前みたいな態度だったので、私が代わりにお礼を言ってた始末です。笑

 

トマト栽培している人や中学校で先生をしているようなごく普通の人達なので、Facebookで自慢できるような生活はしていないと思いますが、こういう友人達に囲まれて生活していたら楽しい人生だと思います。

 
家族でファミレスで食事していた人もいましたが、娘と奥さんの両方から文句を言われていた最中だったので、助かったと言う人もいました。
まるで大学時代の遊び仲間のように電話の一本で友人5人が直ぐに駆けつけてくれるのですよ。
 
そういう世界があったのかと私は凄く羨ましく思いました。
 
嫁さんの従弟のMちゃんは我々が草刈り機が泥沼に入って脱出に苦労していることを知り、自分の仕事を終えた直後に自主的に我が農園に駆けつけてくれました。
Mちゃんはこういうことを若い頃からずっとやっていたのでお互いの信頼感が積み重ねられ、今でも5人の地元の友人達が直ぐに駆けつけてくれるのだと思います。
 
私は帰国してからまだ三年も経っていないこの村の新参者、同じ村に住んでいるのに初めて見る人達ばかりでした。
困った時にはお互い様やで❕と笑顔で言ってくれた連中が同じ村に住んでいることに私は凄く嬉しくなりました。
 
このブログに何度も書いていますが、六本木ヒルズのマンションと現在の自宅を交換してやると言われれても勿論私は断りますよ。
六本木ヒルズのマンションの住人からこの田舎者❕と罵られても、今の私にはそれは褒め言葉以外に何ものでもありません