35年前の1986年、私は嫁さんと結婚しました。

私は嫁さんのお父さんが農業をやっていて、柿の品評会で金賞を何度も取った素晴らしい農業者であることは知っていました。

そしてある日に嫁さんが畑で働いているお父さんを見に行こうということになりました。

嫁さんが幼い頃から親の手伝いをさせられた田畑を見せたかったのです。

 

比叡山の麓にある農地近くまで車で行き、そこからは歩きでした。

車を路肩に停め、あぜ道をずっと歩いて行くとシャベルカーを運転していたお父さんがいました。

 

 

農家の仕事にシャベルカーを運転することがあるなんて夢にも思ってませんでした。

それは田畑が比叡山の麓にあるので、平坦な田畑には必要としない作業があるのです。

 

そして私はお義父さんに訊きました。

どの田んぼと畑がお父さんのものだと。

広大な農地には柵も何もありませんでしたから。

 

そしたらお義父さんは言うのです。

 

ここから見えている田も畑も山も全てや。

 

絶句しましたよ。

 

私が車を停めたところからあぜ道を歩いて、突き当りの比叡山まで来ましたが、全てお義父さんの田畑だったのです。

嫁さんの話では父親はずっと農業で忙しかったと聞いていましたが、それは当たり前だと思いました。

私にとっては気の遠くなるような仕事でした。

 

 

お義父さんが使っていたトラクターや農機具です。

 

 

昔使っていた山小屋に置かれてありました。

 

 

現在は新しい小屋に最新の農機具があるようです。

 

 

お義父さんが病気で倒れた8年前に知り合いの方に農地を任せたのですが、現在その方がこの農地をやっています。

そして7年前にお義父さんが亡くなってからは誰もその農地を管理するものがいなく、その方に一任していました。

 

シャベルカーが田畑の端に置いたままになっていました。

作業の途中のようでした。

 

 

なぜ嫁さんと私が人に任せている農地に行ったかと言うと、柿や栗を採りに行ったのです。

契約して人に任せている田んぼに入ってお米を採れば泥棒になりますが、嫁さんの実家が代々育ててきた柿や栗などは契約外であり、我々の自由なのです。

畑や果樹園は8年間、全くの手付かず状態であり、私の背の丈ほどの雑草が生い茂っていました。

 

全く手つかずの荒れ果てた畑でも柿や栗などの木々は毎年実をつけているのです。

畑にしても、カボチャ等が勝手に沢山成っているのです。

 

 

栗です。

 

 

 

嫁さんと私は今までその農地には行かないようにしていました。

そこへ行けば全く何も苦労せずに作物が手に入るからです。

その味を一度でも覚えてしまったら自宅の畑をやる気が失せてしまうことを恐れたのです。

カボチャでも茄でもレモンでも、自宅前の畑で一からちゃんと育てて収穫までの苦労を一通り経験しないと広大な農地を任された時に大きな間違いをしてしまう可能性があります。

 

私は社会に出てから還暦になるまで電子機器の開発エンジニア以外にやったことの無いので、本当に農業をやっていけるかどうかを契約が切れて農地が戻ってくる3年以内に判断しなければなりません。

農業を辞めるなら今の内なのです。

 

自宅前の小さな畑すらちゃんと運営できないなら、その10倍どころでは済まない広大な農地をやっていけるわけがないのです。

小さなトラクター一台を買うにしても少なくとも100万円ぐらいかかるので、シャベルカー等の他の農機具の購入費用やメンテナンス費用を考えればシカゴでエンジニアをやって貯めたお金を相当に吐き出すことにもなります。

現在その農地を任せている方との交渉でどうなるか判りませんが。

 
そういう理由でその農地には行かないようにしていたのですが、誘惑に負けてしまったのです。
以下の以前の日記に詳しく書きましたが、私が日本に帰国してからの数ヶ月間に育てた作物の売り上げがたったの600円という日が珍しくないのです。
そして私が畑で何も世話していない柿や自生しているようなペパーミントだけは出荷すれば売れるのです。
 
嫁さんが子供の頃に手伝っていたあの果樹園に行けば苦労せずに大量の柿が採れるという話に私は乗ってしまったのです。
ちょっとだけ行ってみようか❕
 
嫁さんも私も10分ぐらいだけ柿を採りに行く積りでいたのですが、1時間弱ぐらいになってしまいました。
誰も柿を採らないので沢山の実が成っているのです。
たった一本の柿の木に成っている下の方の実だけを採ってもカゴに二杯分でした。
 
ボロ儲けやん❕
 
 
栗やカボチャは既に書きましたが、その他に採った作物は秘密にしておきます。
JAの店に出品するには品種毎に申請書を提出する義務があり、何処の農地でどんな肥料を使って育てたかを詳しく書いて認可してもらう必要があります。
JAの店とは長い付き合いをさせてもらう積りなので、提出した書類と異なる作物は出荷しませんが、山に自生していたような作物の出品をJAが許可してもらったら詳しく書きます。
 
このブログに何度も書いていることですが、シカゴから日本に帰国した直後の嫁さんの親戚の農協の叔父さんの言葉を思い出します。
 
「農業は種を撒いて放っておいたら、勝手に実がなるから、それを持って来てくれたらお金になるんやで❕ 簡単な商売やろ❕」
 
「いやいや、叔父さん、俺、種も巻いてないんやで。それでお金を貰ってもいいの?」って言いたいですね。
 
何年間も放ったらかしの畑なので、雑草は生え放題なので柿の木の元まで行くのにも苦労しますが、植物って人間が手を入れなくても自分でちゃんと育つものなんですね。
植物の種類は限られるかもしれませんが、そこで採った作物を食べても美味しいのです。
立派に売り物になるのですよ。
 
お天道様の力、凄いです❕
 
私が蘇られた自宅前の畑をプロの農業の方達が見ると「これは畑ちゃうで、庭園や。」と言われます。
草一つ生えてないとは言いませんが、ほぼそんな感じであり、隅々まで手入れされています。
畑ではなく庭園だというのは決してけなした言葉ではないですが、褒め言葉でもないのです。
 
 
たった数ヶ月ですが、農業をやって、私にはあの広大な農地をやっていける自信がありません。
農地の中には遺跡もあります。
1200前の窯の跡です。
調査が終わった後に石碑が建てられたのです。
 
小さな小さな滝みたいなものもあるのです。
 
 
田畑に隣接する山にはヒノキが植えられており、本来なら山林の管理もしなければならないのですが、お義父さんが亡くなってからはそんなことをする者は誰もいませんので放ったらかしになっています。
私も山の中までは入れませんよ。
自宅前の畑だけで十分に精一杯です。
 
住宅が何十軒も作れるだけの小さな山一杯分のヒノキを一体どうすればいいのか?と考えるだけで頭が痛くなってきそうなので、とりあえず今は田畑の事だけを考えるようにしています。
山小屋にはお義父さんが使っていた色々な機具がテンコ盛りに残されていましたが、無駄な機具は一つもなかったのでしょうね。
私にはそれらの使い方も目的も判りません。
 
 
嫁さんと私の2人だけでは絶対にこの農地をやっていけないことは判っているので、賃貸契約が切れる3年以内には誰か一緒に苦労してくれる同士を何人か見つけなければなりません。
現在この農地をやってくれている方が「もうワシも80を過ぎたから無理やで。もうこの辺で勘弁してや」と言われているし...
 
田畑を無料で貸しますし、誰か一緒に私と農業をやってくれる気の合う人が見つかればいいのですが...
勿論、そこで育てた作物は自由に自分で売ってもいいし、私と同様にJAに出荷するならそこでの儲けは山分けです。
共通で使うあぜ道や用水路などの整備は分担です。
 
まぁ、3年かけてじっくり考えてみる積りです。