以前の日記で嫁さんがメルカリ仲間からドイツのハサミを購入したことを書きました。
確かにあのハサミを使うと快感です。
何でもスパっと狙い通りに切れます。
上の写真を見てもらえば判るように、あの頃は髭も顎髭もありました。
去年末に日本に帰国してから髭を生やしていました。
私のブログを読んでくれている読者は御存じだと思いますが、シカゴ22年間の生活を終え、日本に帰国して、今までの生活スタイルを変えてみたいと思っていました。
私が日本に帰国したらシカゴ仕込みのギターを教えてほしいという知り合いも何人もいましたので、髪の毛を伸ばし、髭も生やして、カッコだけでもミュージシャンになろうと思っていました。
ところが私が五分刈りをしたのは先日の日記に書いた通りです。
その日は五分刈りで済みましたが、後日に嫁さんから新たな要求があったのです。
それは顎髭が不潔に見えるので顎髭を剃れ!と言われたのです。
夜になると嫁さんの顔が抗がん剤治療の副作用で真っ赤に腫れてくるのを側で見ている私は嫁さんから顎髭が不潔に見えると言われたら顎鬚を剃ってやることで少しでも嫁さんの気分が晴れるのなら何でもないことでした。
すでに私は頭を五分刈りにしてますし...
そして嫁さんが顎鬚の次は口髭を剃れと言うことは判ってました。
嫁さんはあのドイツのハサミを持ってきて髭を上手に切ってやると言うのです。
実は息子から「お父ちゃん、髭は剃った方が絶対に衛生的やで。お父ちゃんに絶対に髭は似合わへんし。」なんて私の顔を見る度にそんな生意気なことを言ってました。
髭は食べ物や飲み物が付いてしまうことがあることは息子達に言わなくても知っていましたが、息子達はそれがどれだけの細菌を増やすことになり、衛生的でないかを説明するのです。
嫁さんも髭のある男性は不潔だと日本に帰国してから言ってましたが私は無視してましたが息子と息子の嫁のGちゃん、そして嫁さんの3対1になると最終的には私が負けました。
以下の写真は息子達に私が髭を剃ったことを証明する写真です。
それをLINEで息子達に以下の写真を送るとYou look good!と言ってましたね。
私の頭は五分刈り、そして髭も顎鬚も嫁さんにあのドイツのよく切れるハサミで切られてしまいました。
最後はシカゴから持ち帰ったブラウンの髭剃りで切り残しを綺麗に剃りました。
還暦になって、会社を辞め、日本に帰国して、何事にも囚われないで自由に生きられると思ったら...髭を生やすことも許されないのが現実です。
嫁さんもちょっとやり過ぎたと思ったのか、私に好きな物を買ってもええよと言ってくれました。
丁度良いタイミングでした。
実は私はヤフオクでどうしても落札したい映画のポスターを見つけていたのです。
それを言うタイミングを見計らっていたのですが、ヤフオクには最終日がありますので、少し焦っていたのです。
映画のポスターというのは映画館で使用された非売品のポスターです。
映画にもよりますが、500枚から1000枚劇場用に印刷されたものです。
私の様な一般人が手に入るものではありません。
劇場関係や映画の関係者から何らかの理由で流れて市場に出た物です。
嫁さんにそれを言いました。
「幾らで落札できるか判らへんけど、ええか?」と嫁さんに尋ねたら、「かまへん、かまへん」と言ってくれました。
「何の映画や?また古い映画やろ?」って訊くのでハッキリ言いました。
「1978年の日活ロマンポルノや。桃尻娘という映画」
「へぇー、よくそんなポスターが出品されてたな」と嫁さんは言っただけでした。
還暦のオッサンが古い日活ロマンポルノの映画のポスターなんかに沢山のお金を掛けて落札すると言ったら、何か面白いリアクションがあると思ったのですが...
大学一年生の18歳、私は橋本治原作の映画「桃尻娘」を観る為に何度ピンク映画館に通ったことか。
レンタルビデオもなかった時代、もう一度映画を観ようと思ったら映画館に行くしかなかったのです。
知ってますか?ピンク映画館でも学割があることを。
「学割一枚!」と言って入場券を買ってましたよ。
大きな映画館ではなかったので、映画の入場券は買った時にその場で半分千切られるのです。
映画「桃尻娘」の主演、竹田かほりと亜湖のコンビ、良かったなぁ...
ああいうピンク映画はもう日本には消滅してしまったのだろうか?
手間暇かけて本気でエロ映画を作る映画監督や女優さんが当時は沢山いました。
作る方も観る方も本気だった時代がありました。
ラブホテルで普通にセックスしているだけのAVを観ている現在の若者が可哀想でなりません。
あの映画以降、橋本治は私のお気に入りの作家になり、 2002年の著書「三島由紀夫とはなにものだったのか」も結構面白かったです。
この話をすると長くなってしまいますので、この辺で止めておきます。
そして今夜、落札した日活ロマンポルノの映画のポスター「桃尻娘」が届きました。
何人もの落札者との闘いを予想していましたが、入札者は私だけだったので滅茶苦茶安く落札できました。
日活ロマンポルノを上映しているピンク映画館に学割で何度も一緒に観に行った古い友人達と日本に帰国後に再開し、「桃尻娘」の話も出ました。
だから私はその映画のポスターを手に入れたことを友人達に自慢したい為に嫁さんに写真を撮ってもらいました。
以下の写真は何でもないような顔をしていますが、実は心の中ではガッツポーズをしてました!
頭も五分刈りにしたし、顎髭も髭も剃られたし...安値で落札した「桃尻娘」のポスターだけでは割に合いません!
だから今度は1000円や2000円程度では絶対に落札できない映画のポスターを落札させてくれと嫁さんにお願いしたら、嫁さんは「ええよ、顔がスッキリさせたからポスター買ってもええよ」と簡単に言ってくれたので拍子抜けしてしまいました。
このポスターを落札出来たのはほんと、嬉しかったです。
皆さんご存知の通り、1969年公開の映画「男はつらいよ」の第一作目の映画のポスターです。
息子と私はいつも敵対していますが、我々二人の共通のものは映画マニアなのです。
Gちゃんもかなり映画を観ています。
シカゴで暮らし始めた頃は家族三人で毎週末に映画を観に行ってましたね。
最初の頃は観た映画で英語の判らなかったところを自宅に帰る車の中で息子と嫁さんに解説してやってましたが、息子が中学生になると「お父ちゃん、それは間違っている!」と反論するようになり、高校生になると車の中で我々に解説してもらってました。
そして嫁さんと私がワシントンDCの息子達に会いに行った時にGちゃんがこれが日本映画で一番面白かったと言ってアパートのホームシアターシステムで見せてくれたのが英語のサブタイトル付きの「家族はつらいよ」でした。
「家族はつらいよ」は渥美清亡き後に製作された「男はつらいよ」と言っても大きな間違いではありません。
中国人のGちゃんがこんなコテコテの日本映画が好きだなんて...以外でした。
思わず合格だ!とGちゃんに言ってやりました。
そんな映画をまさかGちゃんが持っていたとは...夢にも思いませんでしたよ。
日本を代表する映画は何だろうと私が高校時代から考えてきましたが、それは「男はつらいよ」ではないかという高校3年の時の答えが還暦になった今でも変わってないのです。
そういう意味では私はブレてないのです!
私は映画「男はつらいよ」は日本人の全ての感情が凝縮されている名作だと本気で思っています。
そしてあのタイプの映画の良さを理解しているGちゃんが我が家の家族になったことが嬉しかったです!
この映画のポスターは入手困難なレア物なんです。
我が家の宝物になりました。
実はヤフオクで本気で勝負したのは以下の映画のポスターでした。
この映画を知らないという奴は映画通だという資格はありません。
日本人だけでなく、世界中の映画通だと自称する者達も含みます。
世界には色んな映画のランク付けがありますが、そのほとんどで一位が小津安二郎監督の「東京物語」です。
インド支店からシカゴ本社に出向してきていたエンジニアも「東京物語」が世界で最高の映画だと言ってました。
私のボスはそれに異論がありましたが、それでも「東京物語」は間違いなくトップ10には入ると言ってましたよ。
ハリウッド映画などは何百憶もかけて映画を作りますが、戦後だと言える1953年に公開された「東京物語」がハリウッド映画やフランス映画を差し置いて1位の座を未だに守っているのです。
これって日本人が世界に誇れるものなんです!
小津安二郎は世界で最高の映画監督だと私は思っています。
そしてこの「東京物語」はどのシーンをとっても完璧なんです。
世界で名立たる映画監督達が「東京物語」の最後の10分は1秒も修正できる監督は存在しないと言われているほど完璧なシーンの連続です。
学割でピンク映画館に一緒に何度も入った古い友人に私がその落札した映画のポスターを持った写真を送り、「これ覚えているか?」と訊いたら、「当たり前やろ!一生忘れるかよ!」という返答を聞いて、何だか私は滅茶苦茶嬉しかったです。
還暦になったオッサンがこんなことをしていてもいいのか?という感覚になりましたが、そのポスターを携帯の画面ではなく、是非自分の目で見せてくれという馬鹿な奴もいるので、私だけが馬鹿ではないことを知って安心した次第です。