通勤の車の中でふと思ったこと。 | hosokawasumioのブログ

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古の時代、北上山地の山にはどんな木が生えていただろう。

杉の木は、少なかったのではないか。

雑木林の山が多かったのではないか。

胡桃の木、栗の木とかが多かったのでは、

山には鹿とか熊とかその他動物も多かったのでは

ないか。

土器は、平野に限らずに出てくる。

台地とか山の中腹にあたる辺りとか、

山菜とか山に成る小さな果物とかも食べて

いたのでは。

そしてその時代は、案外、気温が現在よりも

温かかったのでは。

・・・・・

などなど、いろいろな妄想が拡がった。。

花巻方面の北上平野で生活することではなく、

釜石方面の三陸の海の幸を糧とする生活でもなく、

なぜ西も東も山に囲まれた遠野に生活するいにしえの人達が

いたのだろうか。

妄想するのも楽しいものだと思う。

 

花巻方面から東に移動しようとすると山があり、川を

越えなくては至ることができない。

釜石方面からでは、高度が高いので余程の気持ちが無ければ

海に期待する生活を捨てて山の方に移動しようとは考えなかった

のではないか。

北の山から南下してくるルートも無いとは言えないが、ひたすら

山が続くものとみられる。

南の方からは住田の方より、土地を開拓しようと、あるいは

北の方の土地に関心があった人達がいたかもしれないと

すれば、有り得そうな気もする。

ただ、どのルートをとっても、アスファルトの道路も車も無かった

縄文時代には、人の交通は容易なものではなかったに違いない。

 

それでも、生活をしていた人達が居たわけだ。

 

妄想の続きだが、

山にはクルミの木がいっぱいだったとしたら、

稲作の無かった時代には、とても貴重な食糧だったのでは

ないか。

恐らく、冬を越えるためには大変有難い糧だったのではと

推察する。

とすれば、岩手には山ばかりが多くて、その山に食料を

得るためのクルミの木が多かったりしたら、

縄文の人達が住もうとするに十分な動機を得られるものと思う。

採集・狩猟の生活である。

宝の山だったのかもしれない。

 

国道沿いに川が流れ、大体のところではその川沿いに

クルミの木が立ち並ぶ。

誰かが植えたわけでもない。自然に増えていったものだ。

実を拾うことが出来たら、沢山の収穫があり、

食べるぶんにも困らず、何かと交換することも出来たかも

しれない。

 

・・・・・

 

地域の高低差に着目されて出来たと思われる発電所もある。

標高差があることと川が流れて水があることに目を向けていた

人達が居たから発電所が出来たのだと思う。

自動車が普及していたかどうか分からないぐらいの時代に

地勢を知る人がいて、大きなものを作る力があったのだと

思うと、その頃の人達のスケールの大きさを感じさせられる

ようだ。

 

 

以上、とりとめのない妄想などを備忘録のように

記してみた。