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身を清め 

二礼二拍手 春間近 

誓いの念は 甘くはないぞ★


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『放送』の在り方を
視聴する側が
整理するべき時期だった
春間近の

2月。

特に放送は、
放送法第4条をはじめ
放送内容、放送姿勢等に
強い制限と
縛りがあります。


事件、事故、災害など
起きた事実を正確に
放送しなくてはならない
義務があります。


ニュース、報道の要です。


誤解を与える誤報やデマは
世界中に拡散され
デジタルタトゥーとなり
甚大な被害に繋がります。

だから

誤解を与えないよう
ニュース、報道に対して、
何が正解か判らないあやふやな段階で、勝手な個人の見解、解説、一方的な私見、感想を無責任に自由に付け加え、世論に影響を与えてはいけない情報媒体だということを、今一度強く求められているのです。


だけどここ数年、放送の

『謝罪、訂正、再発防止』
の言葉が飛び交う状況に
驚かされます。


視聴する側が
強い意識をもって
選局しなければならないと
気付かせてくれました。

ルールを勝手に
解釈していないか、
その場凌ぎの情報を
流していないか、

安易な情報を
受け取らない、
疑い、発信しない
誓いの念。

甘くはない。

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歴史あり 

知恵で防いだ 禍を 

風戦ぐ日に 言の葉が舞う★



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家康公の像を
社殿横にある井戸に入れ
東京大空襲に備え
お守りしたと伝えられています。


2020年、
日本の超過死亡者数。

自殺者だけは激増。


『新型コロナウィルス』

だけが猛威を奮った原因とは
考えづらい状況が
存在することを、
誰もが知らないふりを
しているだけで
この現状に気付いています。


人命に関わる情報は
重みがあるものです。


客観的事実、客観的証拠の力と
誰かの意図した
憶測、伝聞、誘導は
情報の重みが全く異なります。

技量も度量も明らかになり、
余計なことを
もう望まれていないのだから、
正確なストレートニュース、
正しい行政アナウンスの
言の葉のみを発信すればいいと
誰もが感じている今般。

人が人を追い込み
個々の命、人生に踏み込み
妨げるはしたなさは、
災禍から
お守りした人の気持ちとは
随分掛け離れている。

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一雫 

キザに流そう ろくでなし 

貴様の仕業に サラリとあばよと★


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『言論の自由』は、
新聞、雑誌等のメディアで
充分保障されています。

しかし自由には、
『責任』
が伴います。


無責任な勘違い、
ろくでなしへの指摘を
スルーしないことです。


冷静に考え
慎重に行動するべき有事。

例えば
コロナを煽って
番組を盛り上げ、
政権批判に繋げた
一部の放送は、

社会が滅茶苦茶になったとしても、個人がデマを着せられても、責任をとろうとなどしない。指摘する者には異常なほど強く当たり潰しにかかる余裕のなさ。よくネットでも語られる様に、驕り高ぶる勘違いしたその上級国民意識の表現は、先々まで残ることを認識しない者が携わっている嘆かわしい現実。

こっちが忘れたいのに
中々忘れさせてくれない。

せめて一雫づつでも、
流したい。

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三代目 

芝東照宮の 銀杏の樹 

日光と風 金色の道★


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今は情報の速さより
『情報の正確さ』が
何より大切になり、

憶測、伝聞、根拠が不確かな番組が社会を動かしてしまったり、船頭して欲しくないという強い気持ちが、短時間の視聴ですら湧き上がるのは自然な感覚。


弱っているからといって
この緊急課題のある局面でおかしな環境に流されること、長いものに巻かれることを肯定しだしたら要注意だと思う。

もしそんなことを肯定する者が
担がれるようなら、
思惑や目的に気付かない
知見の鈍感さに
『目を覚ませ』と。

新型テレビがやってきても、
無駄に大きく
眩しいほど美しいだけの
『高価発光パネルか』と。


私達の身の回りの
1つ1つが
時代の景色になっていく。

徳川将軍三代目、家光公が
植樹したと伝えられる
銀杏の樹の美しさは
息を呑む別格な風景。


訪れる人全てに
分け隔てなく、平等に、
金色の道へと誘導する
優しさを与えてくれます〆