本質や本物、真実を
大切にしない
一定数がいる人間社会。

新型コロナの
影響にも煽られ

そんな一定数に
振り回されている様で
不安に思う時もある。


努力を形にする逸材や
理想高き別格な人間ほど
孤立しやすいのは

いつの時代も
変わらないが
いい加減

『気付きなさい』

と歴史の声が響く。


300年の時を経て
再評価される将軍。

人間の
理解力というのは
それだけ
隔たりがある。

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我が生類を憐れむことは
行き過ぎであろうとも

百年後も守るべし、
それが孝行である。



五代将軍 徳川綱吉公
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湯島の地に
学問所を開いた
五代将軍、徳川綱吉公。

弱い人、弱い生き物に
思いを馳せる
心優しい名君だった。


三代将軍の父、
家光公から
儒学の教えを学び

中でも
秩序を重んじる
知の学問と言われる
朱子学で

武士たちの教養や知識を
高めようと
学びの場を開いた。


命の重さ
慈しむ心を持つという

『仁』の理念。


しかし
実際には

『生類憐みの令』を
小馬鹿にした可笑しな
拡大解釈を広め

野良犬公園を作った
「犬公方」と
後世まで嘲笑い
語り継いだ。

今から
約300年程前の

1700年頃
地震、噴火、水害、大火災
歴史的な天災が相次ぐ原因は
全て時の将軍、
徳川綱吉公の責任だとして
民衆らは流布した。


その時代
画期的かつ迅速な手腕で
災害復旧をしたことも

鍼治療を庶民に広め
健康を促したことも

全て悪政とした。

京都朝廷まで
将軍交代論を語り
誹謗中傷を続け
暴君と煽り立て嫌った。

戦乱の時代から太平の世へと
落ち着いた流れの
不満を吐き出すかの様にして

綱吉公を標的にした
愚かな同調圧力で

悪意で作り出す
「和」
を保ったのだろう。


儒学に基づく

「仁」

の意味が
わからない大衆は
決まりを定められたことに
腹を立てた。

何事も
プラス、マイナス
両方の側面を冷静に考え
良いバランスで実行していく
心意気が問われるものだが、

学び教え、学問でさえ
欲にまみれた解釈で
悪用する者が現れる。

身勝手な都合で脚色し
極端に大げさに解釈させ
人にレッテルを貼る。


生類憐みの令によって
日本の治安が
劇的に改善されたのに

家臣、民衆からも
評価されず

亡くなった後
異常に小さくされた
綱吉公の位牌。

誰の嫌がらせ
指示だろうか。

汚名を着せ、位牌まで弄り
悪名に荷担する者が
内輪に大勢居た事実。

憤る。


何百年も
語り継がれた悪評。

しかし

現世の私たちまで
騙すことはできなかった。


博学故に、律儀
高潔故に、誠実
誠実故に、正論。

商人にも学問を伝えたことで
経済を活性化した
綱吉公の政策。

民衆を惑わす
噂話を流した人間に対して
江戸の町、約35万人から
徹底的に調べ上げ
見つけ出し斬罪にした。

おかしな噂を流す捏造者
デマを流す愚者に
人間社会で
生きる資格などないと
容赦無く叩き斬り
許さなかった将軍。

老中たちと
適切な距離を置いたのも
正しい政治を進めるため。


大義ある生き様に
曇りはない。



『孤独な将軍』

だったのかもしれない。

悪評、濡れ衣、デマ、
呪いだ、祟りだ、
怖い、怖いと避け
すぐに
安直なオカルトを口走り
民衆の恐怖心を煽り

変わり者だ、病的だと
難癖をつけ
ただ相手を攻撃する。

正直者、賢者たちにまで
不要なまでに不安を与え
拡散する、

愚か者たち。


存在や功績を隠すため
おかしなデマを残し
創作を語り継がれた
先人、偉人たちは
少なくない。

負の伝統を受け継ぎ
不名誉を被せる者とは
一体何者だ?


理解する人間たちで
人間の名誉を
守らなければならない
ということ。

最近は翻訳もされ
海外へも発信されている。


史実とは異なる
妬みと言い掛かりを
意図的に書き残し、

いつの時代も

意地悪を生業とする
悪質な人間たちが
300年前にも
存在していた事実。


現代の情報社会
SNS社会にも
負の遺伝子を受け継ぐ者が
存在する。

大勢の善良な民衆が
300年前と同じことを

また

考えさせられている。


湯島聖堂に
降り立つと

当時の武士たちが
人として持つべき
教養、素養、秩序、真心を
熱心に学んだ空気が
今も残っている。

学ぶことで
秩序のきっかけができたのは
五代将軍、綱吉公の功績。

誰かが創作した
悪事のみが後世に
名を残してきた
綱吉公だけれど

これからは
本当の真実、善事だけを
伝え続け、
後世に語り継げばいい。


素晴らしい人間を
『素晴らしい』とだけ伝え
讃える人間を
『すごい』とだけ伝える。


余計なことは
必要ない。

物事の悪い側面は
人に被せて有耶無耶に
することではない。

その教えが今に繋がる
始まりの場所、

湯島聖堂。

史実に残る
綱吉公に思いを馳せると
何だか胸が熱くなる。

歴代将軍の中でも
家康公と並ぶ
天才政治家だった
名君だから。


湯島聖堂で
武士達が
生き方や物の見方を学んだ

『論語』。

役作りのため
愛読していたと知りました。

偶然にも今年6月末、
インスタ短歌で
私が心に留める、論語の一文を
短歌にして紹介しました。


『義を見て為ざるは勇なきなり』


人として為すべきことを知りながら、それを実行しないのは勇気がない弱虫。

論語に触れ
何を感じ
役作りに活かしたのか。


皆さんひとりひとりに

新たな勇気、知恵、言葉を
彼が届けているような、
そんな気がしました〆