時代を見ると辛くなる。
未来を見ると悲しくなる。
明日を考えると弱くなる。

いつの時代も
見つめるべきは

『自分自身』

そんな言葉で教示した
作家がいました。


学問のある人間が
教養人とは限らない。

人の辛さや悲しさに
敏感な人間こそが

教養人。



作家 太宰治


『優しさ』とは
にんべんに、憂うと書く。

人の辛さに
敏感になれる優しさ。

憂いを知る者こそが
本当の優しい人間であり
教養人だと
太宰は語っています。


かつての日常を失い
未知の日常が
始まってしまった今

何を見て
どこを見つめていますか。

辛かったら
泣いてもいい。

人によってはそれくらい
辛い日々です。


誰が言い始めたか
優しいだけでは
生きていけない、らしい。

『人への憂い』を否定し
其処彼処で抵抗し
傷つけ合う。

優しさの筋違いが
更なる諍いを生む。

未知と向き合う
日常の変化の最中もなお
まだ平然と
傷つけ合う。

『優しさを口にすれば人は皆
 傷ついてゆく』

優しく生きるとは
一体何か。

惑わされて
しまいそうだ。


調べない、考えない、
学ばない、一定数の人々。

そんな姿勢しか持たない
一定数が垂れ流す情報が
日常的に溢れ

悪感情と、ご都合主義が
剥き出しな世の中。

私情と
都合のいい情報を優先して
暴論や極論をぶつけ合い
今日も一定数がまた
誰かに禍根を残す。

善良とは言えない社会を
望んでいないはずなのに
なぜか
後退しながら明日を迎える。

経済大国ではあったけれど
実は、先進国であったことは
一度もなかった、
のかもしれない。

この禍で
そんなことにまで
気付いてしまった人も
少なくない。


災害が起き
家も家族も失い
怪我の手当ても
ろくに受けられず
毎日避難所暮らしをした人々
今でもそんな暮らしを
強いられる方々がいる。

災いは
人の心に深く刻まれ
未来に影響するもの。

誰もが
身近になってしまった災いを
収束させるために
行動制限のある社会で
どう生命を守り
どう生活を送るか。

そしてここを
どう切り抜けるか。

誰もが佇んでいる。


『自粛要請』も
徐々に緩和へ向かう。

不確かな数字なのに
強制的に収束へ意識させる
誘導なのだろうか。

新たな生活様式による
行動変化の求めは
政府のせいじゃなく
ウィルス災害から
自身を守るためのもの。

生命に関わる災害に
立ち向かう中で

安全な労働環境に変える
『人との距離』
への課題を
突きつけられた今

どう受け止めるかが
一人一人に問われている
重い課題。

罰則がないからと
要請、法令、ルールに従わず
目先の私益のみ追求した相手は
公正な取引に値しない。

『取引停止』

社会から
排除する理由になる。

罪深い不潔な言動は
忘れない。

社会にそぐわない相手には
罰則以上に厳しい制裁が、
健全な社会には存在する。

要請無視、法令無視
ルール無視

その愚行は確実に、
後々まで履歴に残る。

『関わるな』
という、重い意味。


フェーズが変わり
突然の事故や、具合が悪くなった他の患者の方々を受け入れる病床数を考えなくてはならない医療現場に変わりはない。

ウィルス感染の恐れと同時に
『医療崩壊』とは
そういう現実が
一人一人に直結する。

だから
ほとんどの善良な国民は
現状を理解して
罰則がなくても
外出、営業しないよう
自粛しているのに 
想像力がはたらかず
無自覚に行動する一定数。

傍若無人な
一部の振る舞いが
善良な人々の日常を
脅かし続け
不潔な人災の現実を
誰もが知るきっかけになった。

人が人へ
災禍をもたらす。

改めて思う
人の辛さに敏感になれる

『優しい人』
『教養人』
『憂いを知る人』

人間が持つ心の在り様を
とことん見つめ
分析し続けた
太宰治の言葉の力は
強く、そして深く
突き刺さります。