其の名にて
睨みを利かし 世を平す
東照神君 知略の英雄★
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家康公の趣味のひとつに
「体調管理」に人一倍
努めていたと
書き記されています。
旬の物以外は口にせず、
火を通した食事を好んだのも、食当たりを避ける目的で警戒を怠らなかった家康公。
徳川家の猜疑心。
一字一句読み落とすことなく
言葉の意味や言い回しも
読み解く読解力。
大事な部分を
不合理な説明に変える公家
重大な疑念を抱かせる外様大名
信用性の欠如を確信する家臣
いつの時代にも暗主は存在し
金に目が眩み
愚策ばかりを考え
何れ斬り捨てられる。
信長公、秀吉公の
背中を見ながら教訓とし、天下を手にした後も泰平の道筋を示した家康公。
東照神君、東照大権現の
「智」は深いものです。
兵の
額に光る 六文銭
江戸も浪速も 要の真田★
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真田家の「兵」遺伝子。
関ヶ原の合戦前
幸村は兄・信之とは離れ、父・昌幸と共に西軍に属し上田城を死守。中山道を進む、二代目将軍・徳川秀忠公の行く手、関ヶ原参戦を阻止しました。
関ヶ原後、
父・昌幸と幸村は紀伊に配属されましたが、大坂冬の陣で大坂城に入城。真田丸で再び徳川軍を苦しめたのは有名。夏の陣でも家康公の本陣を脅かす程の奮戦をしましたが、戦死。
その後
新たな大坂城が誕生。
江戸城の堀を兄・信之が指揮し城の要は「真田式」最強の堀が東西に残されています。
昌幸 信之 幸村
日本一の兵(ひのもといちのつわもの)と評される真田一家。
額に掲げた六文銭
それは真田家
「覚悟」の象徴。
三途の川を渡る時がきても
恥じぬ心得に
真田家の熱い血を感じます。
天下人
静謐願い 城照らす
天下布武とは 武有七徳★
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信長公時代の
「天正」という元号
「心清らかで
正しい人間が天下を取る」
そんな願いから改元し
天正と名付けた信長公の
誠実な思い。
信長公を知っていくと
世の中に出回るイメージとは別の人物像を感じさせる記述に出会います。
「静謐」※せいひつ
穏やかな世の中を願い
天下統一に向かう
冷静な武将だったことが
窺えます。
今では珍しくない
建築物のライトアップ。
国内初、自慢の高層建築
「安土城」を松明で
ライトアップ、
時代の先駆者です。
危機管理能力、
自己防衛能力に長けた信長公が、本能寺で討たれましたが、謎が多く残されたままです。
信長公、光秀公共に討つ
シナリオだったのではないか
との推論に同感しています。
民が活気付いた楽市楽座、日本という国が動き出した原動力は、誰も思い浮かばない斬新な発想で進めた信長公、唯一無二の漢です。