雪化粧 

雅に咲く花 加賀の梅 

槍の又左に 戸惑いは無し★


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秀吉公が家臣たちに
「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」と尋ねたところ

家臣達の殆どが
徳川家康公、前田利家公の
名を挙げました。

利家公は
家康公と同等の武将としての気概を兼ね備え人望も厚く、リーダーに相応しい器を持っていたと伝えられています。

辞世の句で
紹介されている

「天下 葵よ 加賀様 梅よ 梅は葵の たかに咲く」

三葉葵紋の徳川家よ 剣梅鉢紋の前田家よ 梅の花は葵より高い所に咲いているのだ。

「加賀前田藩の花こそ
   上に咲くのだ」

次の世代へ思いを託したの
かもしれません。

秀吉公亡き後
利家公は病に伏し
その無念さが伝わります。

青年時代の利家公は
男前で傾奇者としても名を馳せ、戦場では荒ぶる武者として、「槍の又左衛門」「槍の又左と称され、勇猛果敢さを感じさせる名でも通っていました。

信長公に
敵陣武将の首級を何度も挙げた逸話からも、迷うことなく自ら出陣していった「無言実行派」の剛将ぶりが窺い知れます。

加賀の地は
雪がとても似合います。

今もなお豪華絢爛
文学意識も高く美しい町並みが残され、利家公のセンスを職人文化からも感じ取れます。

漆器、金箔をふんだんに使った加賀の伝統工芸品は、文房具から漆器に至るまで多数愛用しています。



目の前に 

迷いはないぞ 赤合子 

下衆には媚びぬ 軍師たるもの★


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軍師・官兵衛の遺訓に

「人に媚びず、冨貴を望まず」

とあります。


取り込むのが最も難しい

高潔軍師たる所以を詠んだ漢。


本能寺の変で

織田信長公が死去した際、官兵衛は取り乱す豊臣秀吉公に対し

「御運が開かれる機会が参りましたな」と述べました。

秀吉公は

官兵衛の言葉の裏にある

「智謀」を酷く恐れ

「常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも、心を許し難きものなりと言はれしとぞ」とも残しています。


あの秀吉公が

官兵衛の「智」を、どれだけ恐れ警戒したか、その奥底に秘める人間性に深い魅力があります。


欲に溺れる惨めな浪人、末代までの恥晒しが溢れる中、下衆には媚び諂わない男、冨貴や褒美では決して動かない

真の美学を備えた

強い漢の鑑です。


一文字 

三つ星掲げ 三本矢 

唸る毛筆 百万一心★


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武家に好まれた

一文字三星の家紋


オリオン座の 中央に輝く「三武・将軍星」と呼ばれる「三つ星」と、敵に「一(かつ)」とを組み合わせた、武威を高める家紋です。


元就公は

21歳の有田城合戦で

「安芸に元就あり」

と知らしめました。


「天下を望むなかれ」

遺言となったエピソードも有名です。天下獲りよりも、幼少の家庭環境の影響からか、家名の保全を第一とする漢でした。


実のところ、幾つもの長い書状と内容のクドさも有名で、本物の「筆武将」です。


貴重な紙で書かれた書状こそが何よりもその人となりを雄弁に語る時代に、それだけ思いに溢れ、文字で伝え続けた情深き博識な武将だったと感じ入ります。


元就公の有名な言葉

「百万一心」。

「百」の字の一画を省き

 「一日」。

「万」の字を書き崩して

 「一力」とすることで、縦書きで

「一日一力一心」

と読めるように書かれており「日を同じ、力を同じ、心を同じにする」ということから、皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味しています。

碌でもない

獅子身中の虫一匹が、家系や集団を簡単に蝕み滅ぼす原因となり得る時代、元就公は一家の保全のためにこの言葉で、警鐘を鳴らしたと感じます。


個性溢れる

戦国武将たちが目指した

理想の国づくり。

漢たちの挽歌です。


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