11月24日まで
日光二荒山神社では

「良い縁祭り」

良い縁坂を上がり
最初の鳥居を潜った右手には
「杉」と「ナラ」の御神木が
仲良く存在しています。

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人多く 人の中にも 人はなし

人になる人 人になせ人



二代目将軍 徳川秀忠公

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三代将軍
家光公に贈った言葉。


世の中に大勢の人が居ても、立派な人、人らしい人すら存在しないものだ。

人は努力し
人として磨かなければ
人ではない。

人である以上
人として鍛錬しなさい


二代目ならではの
人への思いが
深く伝わってきます。


家康公亡き後、
江戸幕府の礎を築き
ルールで統治する時代が
始まりました。

最終的に家康公が
二代目と見込んだ通り、江戸幕府の基盤を強化することに秀忠公は大きく貢献しています。

「守成は創業より難し」

という言葉がありますが、
跡継ぎとして、それを成し得る柔軟な器を持つ人物でした。


徹底的にルールを重んじる
「武家諸法度13箇条」

天皇や
公家の役割などを規定した法
「禁中並公家諸法度」
を制定しました。

他にも

今で言う高速道路の目安
PA、SAの設置のような
誰もが安心して旅ができる

一里塚。

全ては
国を護る為、民の為
良き君主であり続ける努めを
日々続け

「長が長生きだけを望み、政治をおざなりにするなど、畜生にも劣る」

将軍として
自分自身を律する
厳しい言葉を残し
国づくりに尽力した
真の高潔なリーダーでした。


「仁孝恭謙」

思いやりがあり
慎み深い人物であると
儒教倫理上での
最高の評価も残されています。

家老、大久保忠隣公は

「家康公の後継ぎには、天下を治める文徳も必要であり、知勇と文徳を持ち謙譲な人柄の秀忠様しかいない」

と評しています。


文武を極め
実直で温厚な人柄を
理解していたのでしょう。

関ヶ原で遅れをとった失態が、今尚有名な逸話となっています。昔も今も他人にはミスだけが目立つもので、時を経ても変わらないと、歴史から学びます。

煽り立て
揶揄する言葉に惑わされず
広く深く
本当の人物像を知ることこそが
人として肝要なこと。

三代目将軍、
家光公に贈った歌には
秀忠公の眼に映っていた
人々への皮肉が
滲んでいると感じています。


1619年
秀忠公により、日光二荒山神社本殿が再建されました。

家康公が眠る
日光東照宮の隣です。

ここには
恋愛、仕事、友人など
あらゆる縁をつなぐという
「縁結びの笹」があります。

「良き縁だけを結ぶ」

秀忠公が寄与した社殿を囲む
親子杉、夫婦杉
そして、縁結びの笹。

人はそれぞれの礎を築き、
人とは
良い縁だけを結ぶために
人として生きる。

秀忠公の言葉に宿る志を
深く感じ入る
そんな教えが漂う場所です。