8/31~9/3の行程で、自民党豊島区議団の東北視察。

視察初日、気仙沼市の金のさんまの斉吉商店へ伺いました。
気仙沼1

「けせんぬまサンマまつり」の仕掛け人でもある、専務の斉藤和枝さんにご説明を頂きました。

避難訓練の決め事で、
・何かあった場合には工場の従業員は着替えずに逃げること。
・人命確保第一だが、何十年も継ぎ足して来たタレの1部はあらかじめ冷凍しておき、いざという時に持ち出すこと(タレは一朝一夕に作れないので、他のものより大事)。
などを守り、間一髪で津波から逃げることができたそうです。
タレは車には積みましたが、車で逃げる暇はなく、車ごと流されてしまいました。しかし、数日後に車が見つかり、タレも手元に戻ったとのこと。
従業員が文字通り命がけで護ったタレを使い、金のさんまは作られています。
気仙沼2

震災があったから気仙沼が厳しい状況にあるということだけでなく、震災前から厳しい状況であった。
気仙沼はカツオの水揚げ量が震災のあった2011年を含めて、連続日本一の地区だが、それが知られていない。
加工品を出しておらず、ブランド化もしてこれなかったという問題。
震災後はこうした根本の問題にも取り組もうと、自社商品の強化などをなさっておられました。
工場が流されてしまい、工場再建などのための資金をファンドを組んで集め、他の工場をお借りして作った商品を真っ先に出資者へ贈った、というエピソードも。
お借りした工場は、震災前に斉吉商店が工場視察を受け入れ、それを参考に作られた工場とのこと。情けは人のためならず、正に感謝の人間関係が築かれていたのだなと思います。

避難時の決め事を徹底していた結果、人命とタレを守れたのは素晴らしい事です。
また、気仙沼の強みと問題点も的確に把握され、対策を打っているのもさすがだと思います。
後継者につないだ後でも、タレの話しは末代まで語り継がねばならない、とのこと。
頑張って欲しいです!
気仙沼4


続いて、陸前高田市へ移動。
陸前高田市は、奇跡の一本松で有名なところです。
奇跡の一本松はモニュメントとして保存整備されていますが、この日は時間があまりなくて見学には行けませんでした。

「陸前高田被災地語り部」くぎこ屋
語り部の釘子さんが、語り部や講演などを行い、防災意識の向上の提言や震災後の地域再生の現実などを伝えておられます。
陸前高田1

まちづくり情報館。震災時の写真の記録やパネル展示など。
陸前高田3

写真の根っこは、高田松原の松の根です。
説明して下さっているのは語り部の釘子さん。
陸前高田2


かつての道の駅、震災遺構として保存されることが決まっています。
陸前高田4

希望のベルトコンベア。
地盤沈下した土地をかさ上げするために、巨大なベルトコンベアを設置して大量の土を搬入しています。
陸前高田5

陸前高田市が一望できる高台。
写真手前側にある棒は、津波の最高到達点を示すもの。
当日の津波は18mもの高さになり、この高台の辺りまで濁流が押し寄せたそうです。


高台のフェンスがひしゃげています。
津波の恐ろしさを感じます。


釘子さんのお話しの一部を挙げておきます。
〈避難所〉
・飲料水の備蓄が大事。水の余裕がないので、水洗トイレは使用できなかった。
・灯りがないので、ローソク(代替品になる食用油と紙の芯でもよい)。
・震災直後に行政が有効に動けるわけではない。市民が避難所を立ち上げていくという意識が必要。
・体育館だけではなく、全教室を避難時には開放するような考え方が必要。

〈避難用品であった方がよいもの〉
・女性用の生理用品や下着なども備蓄する必要あり
・持病がある人は、薬の手帳のコピーも持っておくとよい。
・ハンコもないと困る

被災地では美談だけではなく、火事場泥棒が他地区から真っ先に来ていたこと、女性が性的な被害に遭う事件も実際にあったこと、など治安面のご指摘もありました。

釘子さんのお話しには、今後の防災対策で考えておくべき視点も多く含まれていました。
お話し頂いた内容を持ち帰り、今後の区政に活かしていく所存です。