東京岬塾にて、作家の岬龍一郎先生のご講義を受けてきました。
東京岬塾は、毎月1回開講されていて、今は岬先生の著書「日本人の名著を読む」を題材にしています。

今回のテーマは、福沢諭吉の「学問のすすめ」
「学問のすすめ」は初読の時に、現代でも全く色褪せていない内容に驚きました。
福沢諭吉がなぜ一万円札の肖像になっているのか、妙に納得できたことを記憶しております。

福沢諭吉は「独立自尊」の考えを持った合理主義。
当時、ヨーロッパに2回、アメリカに1回と、3回も渡航した日本人は諭吉くらいのもの。
世界を見ることで日本の進むべき道、将来が誰よりも見えていたのは諭吉だったのではないか。
西郷隆盛は、道徳で成り立たせようとしたが、当時では時代遅れとなってしまった。
同じく西洋を見た大久保利通などと対立することになった。

福沢諭吉まで絡めて西郷の話が出た時、腑に落ちました。
産業革命があった欧米に追いつくため、合理主義、技術を求めていく考えが先行するのは、時代背景として当然だと思います。
しかし、当時は日本人としての気概、背骨が今よりも色濃くあったので、「和魂洋才」がなりたったのでしょう。
今は技術教育だけになり、人格の教育とのバランスが取れていないのだと思います。

東洋思想は行き過ぎると形式主義に陥りやすくなります。
行き過ぎれば合理主義の考えで是正する動きとなる。
逆に合理主義を徹底し過ぎると、人間同士の温かみがなくなるのでしょう。
惻隠の情、判官びいき、これは合理主義では出てこない発想。

福沢諭吉は、個人個人が独立心を持たない国家は侮られる、としています。
当事者意識をそれぞれが持つこと、他人任せにしない、これが国を勁くするために必要。

諭吉自身は東洋思想も徹底的に叩きこまれ、その上で西洋の知識も加えた最高の知識人でした。
だからこそ、東洋思想のよいところも悪いところも分かっていたのだと思います。
諭吉の合理主義は、あくまでそのバックボーンがあってのものです。

このバランスが取れた教育を進めていかねばならない、改めて考えさせられました。